もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

改めて、私が何を信じようとするのかについて。

私や私たちの周りと共に生きている自然環境を大事にしたいし、家族(とりわけ息子)や周りの人を大事にできる社会であって欲しいと望んでいます。

 

自然環境の事については、共に生きていく気持ちや感性を疎かにはしない一方で、科学的な見地も都度確認して、主観や感情論だけに陥る危険性は避けたいと思っています。

地域によっての違いや、稀少・稀少で無いにかかわらずその地での生き物との文化が存続していって欲しいな、と。

 

子ども達が安心出来る社会や弱い立場の人が守られる仕組み、多様な価値観は重んじたい。

しかし、一方で懸念していることもある。

 

このところのあまりにもの反医療やワクチン忌避、過度のマスク拒否の風潮がコロナ禍の中出てきたことには心底残念に思っています。

知っている人がそこに入り込んでいるのを見るのは何とも言えない気持ちです。

過度な無農薬信仰もしません。

勿論、有機農業自体は否定していないです。

農をめぐる法について不勉強ですが、冷静に考える機会は欲しいかなと。

しかし、ゲノム編集についてはこれは主観になってしまうけど、本来の自然の中での進化を飛び越えての遺伝子操作には抵抗は感じるし、主観以外としてはこうした生き物が外に出て、元の生き物との交雑になってしまうことは心配しています。

 

このところのコロナの中で、いわゆる自然派の方の見方について、今まで好意的だったのがそうは見れなくなりました。

(この件で長年通ってまで行っていた自然派のお店も行かなくなりました。理由は感染爆発期にもかかわらず、ノーマスクで接客を続けてお客と会話しているポリシーであることを知ったからです。)

しかし一方で、自然派の人を懸念する人に多い、放射能懸念を軽視するような見方にも疑問を持っている。

昨日ニュースで長崎で、もし世界で核戦争になった場合のリスクについてのシュミレーションでがんになる危険性の確率を出していたけれど、これは原子力発電所が事故になった場合も同様のはずである。

 

そんなわけで、

様々な所の「多数派」からははじかれてしまう運命にあるのかも知れないけれど、パッケージされた考えにはならないよう、自問自答しつつ、点検しつつ進んでいきたいことには変わりは無く、

 

直近の選挙でも現体制には勿論良いとは思わないけど、投票先には上に述べたような事も踏まえて選んでいきたいと思います。100%完璧な候補の人っていないけれどね。悩ましいですが。

(その次の選挙でも票を入れる人は決めているけどもう一人応援できたら良いのになぁ、と言うところだったりします。)

この所の動きや流れには何とも言えない気持ちで眺めているよ・・・。

 

(現在各地で統一地方選挙があり、愛知県も県議会議員、そして豊橋で市議会議員の選挙が今月控えている中、改めて私が何を大事にして信じていきたいのか、ここで書いておきたくなったのでした。)