前の記事で引っかかったので。
自然の見方に単に沢山フィールドに出れば良いって物でもないし、他人がそうだからといって、それでない自分が劣っているとかそういう事は全くないんだよ、とも言いたかったのです。
時にありがち、フィールド自慢「昨日は○○に行って、明日は△△に行ってくるのよ~~」という。
しかし一方で、
これは旧ブログでも書いたことがあるのですが、どうフィールドに出て行くのかというスタイルの違いというのがあって、
所謂、どこそこのレアな鳥を追いかけに、あそこのいつも咲くあの花を見に、とあっちこっち飛び回る、さながらトレジャーハンター的なフィールドを楽しむタイプの方がいるのと、
普段回る場所を定期的に訪れて、その年や月の生きものの様子を記録し、動きを見守っていくモニタリング的なフィールドの過ごし方をするタイプの方がいると思うし、
どちらもあり、と言う方も見えることでしょう。
しかし、大方、自然を観て楽しむという人の大半は、どうもトレジャーハンターの方が多くて、モニタリング的な人は少数だと感じます。
これはある意味、自然界の生物多様性がどうなっているか、とか、生態系の危機について掴みにくいし分からないまま気がついたら手遅れになっていたと言うことになりかねず、心配な面でもあると思うのです。
いつもいるだろう、と思っていた生物が、ある時いなくなったりするからね。
めぼしい生きものにばかり気を取られていたら、ごく当たり前だった生きものがレッドリスト入りになっていた、ということも。
勿論、見ているだけで対策とか無ければ何もならないと思いますが、気付きもしない、というのはもっと問題。
とあるオンラインシンポジウムでも、珍しい植物ではなくて、普段の植物を見ていけるようになるにはどうすればいいだろう?(どう普及していけばいいのか)という話題になっていました。
モニタリングを苦としないフィールドワーカーが限られると、必要だと言うとき、そちらに負荷が集中してしまう。自慢とかではなくて沢山こなさなければいけなくなってしまうから。
それから後に続かないと道も閉ざされてしまう問題が。
なかなか、一朝一夕に人は育たないよね。
そこをどうすれば、とは思うのです。
(すぐには出ない答えです。)