もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

またまた雑感つぶやき(今度は自然の見方)

一杯色々あって、なかなかはけません;;

 

多分各フィールド観察の記録の記事などでも再び書くと思いますが、

自然観察って、つまるところ、人以外の自然の生きものの市民権獲得、、とまでいかないとしても、見えてこなかった、見ようとしなかった身の回りの自然の存在を気づくことが序盤だったはずと思うのです。

例えば、今、巷はどこもサクラ、サクラ一色で、特にソメイヨシノ礼賛ですが、サクラ以外にも色んな木々の花、草花が咲き出す頃なのです。その良さや存在を知って貰いたい。

 

固かった冬の芽がほころんで葉や花に変わっていく様子の姿の面白さとか、可愛さ、ユニークさとか、春のクスノキの落葉の綺麗さとか、自然の中の出会いの美しさ、綺麗なところ、面白いと思うところ、、

そんな感じたことを、話し合うことはもっとあっていい、と言うよりあった方が良い。

勿論それぞれの自然への知識とかも交えつつはしつつも。

 

「こんな樹だったんだ」「葉っぱがこんな香りがするんだ」「花の姿ってこんな風なんだ」「綺麗だね~」「素敵だね~」など。

 

この所、一人でそれぞれのフィールド見ていて、本当はそんなところを分かち合う観察会がしたかったのだと気がつきました。

ところがしばし、そんなシンプルな自然への感じ方を封殺してしまっていたのだと思う。

自然観察の場にいるはずなのに、知識を伝えなくっちゃ、とするのは良いけれど、周りもそんな感じで、それまで当たり前に感じていた事を発せないで来てしまっていたのですね。

 

その感じたことから、もう一ステップが、ではその自然の生きものの存在の素敵さを知り、私達がその自然界とどう関わりながら共に生きていくべきなのか、、ということになるのですが、そのステップへもなかなか行き着けていないのは、やはりあらゆる自然への存在への共感がやはり無かったからだと言うことになるのではないだろうかと。

 

*追記

同じ地域でも、共感する気持ちのある場所は勿論あるので、富に「乏しい」と感じたところは限られたあの場所位なのかも知れません。ここ1年、コロナ禍のために参加できていない場所(他地域になるけど本来の出身地域)でも「可愛い~♪」「素敵♪」は勿論あったけど玄人感覚に近いかな。

ごくごく一般の、自然をよく知らないんだけど、と言う人に例えばクスノキの落葉やタブノキの知られざる魅力を伝えられたなら~、と言うところを考えているのでした。