もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

あの場所をやめようと思った理由

何となく、それまでの担当が重荷にはなりつつあり、

それでもやれる限りは、と思って真摯にやってきたつもりです。

しかし、周りのまなざしは何というのか、他の場所のように共に楽しんだり共に観察会をしているといった空気とは明らかに違っていました。

担当としては、この年一杯にしよう、と決めた年の総会で、いわれのない非難を受け、滅多にない怒りを覚えました。

その前に、、

同じ場所を継続して観察会を実施することに異を唱え、別のある場所を新たに進めたい思惑を持つ動きがあり、勧められたのですが、

その場所は定例観察とするのには色々難しそうな場所でした。老若男女が自然の仕組みや出会いをワクワクしながら体験する場としては(だからやんわり断っています)。

思惑が叶わないと分かったら、その方は仲間内の中でこちらへの批判を吹聴したようです。

同じグループである会の重心役も快く思わないのか、下見時にはネガティブな事ばかり言っていました(もう会員来る人数少ないとか、諸々)。

下見の協力と思っていたのですが、実際は「警察」役で監視だったのかも知れません。

下見もいかにもつまらなさそうに来ていましたしね。

総会でいわれのない批判をした人も、違う場所を観察場所に推した人を崇拝していたので、その言い分をすっかり聞いて次第にこちらに怪訝な表情を向けるようにはなっていました。

 

漏れ聞こえてくる様々な「雑音」をオープンに引き出そうとメーリングリストや総会などで提案し、そこで意見等を募ったり、

若手が尻込みしていると言われたときも、協力は歓迎するので申し出てください、と呼びかけています。→それなのにいわれのない批判したのは許さないからな!

(本来活動参加したいのであれば、その当人が自発意思で申し出れば良いだけのこと、後は相談や調整はあるけれどね)

そんなオープンの場では沈黙で、影で色々言うのって、いくらこの地域的とは言えどうなんでしょうね?いや、同じ地域でも他は違うのですが。

→別の総会の場で、雰囲気は驚くくらい違っていて、異なる見解も穏やかに延べ合いながら話を進めていく様子を見て、改めて色んな運営場所を見ておくこと、知っておくことの大切さを知りましたよ。

 

まあ、でも、決定的だったのは、

生きもの全般、その地域の普遍的な種を含めての生き物たちの存続とか繋がりとか無事な生息確認などの、

そういった関心が全くと言っていいほど乏しかったこと、ですね。

*これは全員ではないですが。

ある時、コオイムシ、しかも卵を背負った雄のコオイムシを下見時に見つけて歓喜の声を上げたのですが、それに対してしら~~っとした雰囲気で、

「そんなもの」

と返ったときは愕然としたのと、

「もうここはいるべき所じゃない」

と確信になったのでした。

在籍中、良心的に協力くださった方も勿論見えますが。

そのことには今でも感謝しています。

肝心の目的でない部分での気を使うことなどの労力もあり、最終担当年には体調的にも出てしまい、観察会が無事終わった後に家に帰ってから偏頭痛で寝込むなんて事もありました。

仕事ではない、ボランティアで体調不良なんて、駄目です(仕事でも本当は良くない)。

 

*同じような経験を別の人がしないことを願っております。

 

生きものの存在を知って、まだその生きもの(良好な環境の証拠であったり、そう多くはない)がいることの喜びを当たり前に感じたり、

伝える方も参加する方も共に楽しむ観察会などができる、

そういう場の所を応援したいです。

 

追記

担当をしたことは、得た物、学んだことも勿論あったし、関わった方々全てが良くなかった訳でもありません。

観察会担当して良かったこともあり、また、1年や2年だけではその場所はやはり分からないことのほうが多かったでしょうね、なので数年間で得た事は色々ありました。

残念ながら、良かったことばかりでもなく、理解の違い、波長の合わなさが大きかったり、筋を通しても通じなかったりがその場所の内々であったのでした。

今回やや具体的に言語化で記載でしたが、今後は未来だけを見ていこうね。

 

コオイムシ=生きもの屋さんにとっては、出会えたら嬉しい生きものの一つですよね。

オニヤンマのことも、そのトンボがいる、ということはかけがえのないことで、水が綺麗なことの証明でもあるし、日本一大きなトンボでもあるし、虫の生態系の頂点でもあるし。

レアとかレアでない以前に、どんな生きものも愛おしい、共に生きていく対象としての見方(まあこちらの都合で犠牲になったりもしつつ;)、が自然観察のベースであって欲しいものと思います。