もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

都市公園は何のためにあるのか?

2017年に国が可能にした手法Park-PFI

民間業者に運営を委ねて、商業施設を公園内に建てて「稼げる」場所にすることで自治体の費用負担を抑えて公園を活性化させる、賑わいを創出する、というものです。

このことについての以下の記事。

 

www.rakumachi.jp

いつもながら精力的に神宮外苑問題や都市公園開発について取り組んでみえる、ロッシェル・カップさんのXアカウントより。

*ロッシェルさんを見ているとかつて干潟の自然保護に尽力された辻淳夫さんを思い出します。説得力があり、様々な専門家や著名人とも繋がり根強い活動をしている点で。

辻さんは生きものと人との循環社会を、ロッシェルさんは街路樹が与える人への恩恵を伝えてくれています。

(このところ反響の大きさのアカウントには付いてくるであろう心ないコメントも来ていることに心配しています。かつての辻さんのような鉄人対応されていますが。)

 

このPark-PFI手法、都市公園を憩いの場とし、樹木や緑の中で仕事や日々のストレスから解放され、ほっとすることの出来る空間としての役割も持つ場としての機能を奪いかねず、また豊橋公園のように大木が残り昔からの自然も残っているような公園の生態系保全という観点からも、勿論子ども達の遊び場という意味でもダメージを与える内容で、そしてグリーンインフラが主流になっているとされる世界の中では全くイケていない手法なのでは無いかと思っています。

 

久屋大通公園がやはりこの手法で再開発となったのですが、私が見たそれはもはや公園や緑地では無くて、周りのビルや店舗と全く同じ街になってしまったという感じでした。

 

都市公園は子ども達の遊び場のみならず、赤ちゃんを育てている若いお母さんが気分転換に訪れたり、ストレスから一息つくための大人にとっても大切な場所でもあり、年配者の散歩やストレッチに訪れる健康の場でもあり、全ての世代の人にとって単なる商業利用では得られない福祉的な場所でもあるのです。

そして声なき公園の生きものの住む場所でもあります。

この機能を無くしてしまった社会の姿を想像してみて下さい。失うものの大きさが分かるでしょうか?

 

そんな公園の維持を代わりに担う方法なら、やはり公園の財団法人を作って個人や企業の寄附でもって運営、協力企業はそのことをアピールすることで人々の購買利用を促すなど今の公園の姿を最大限維持しながら活用していく賢い利用方法が求められるのでは無いでしょうか?

以前辻さんが干潟ゴミ埋め立て問題の時代わりに干潟を活用する「ワイズユース」を提唱していたことを思い出します。現在その姿に近いですね、藤前干潟。いつまた行けるかな?

(*辻さんは干潟の保全は勿論のこと、ゴミ埋め立予定地とされたことの元となっているゴミ問題のあり方にも取り組んでいました。それが当時の市長による名古屋非常事態宣言によるゴミの分別に繋がり、出すゴミの量を減らすことにもなりました。)

 

豊橋公園もその道があるはずです。アリーナでは無いですよね。