「迷惑だと思う事」
に関しての記事で反応も頂き、ありがとうございます。
下の海上の森の記事もちゃんと更新しなくちゃあ。
思うに、、、
「もしも」私がね、私の描くヤツが以前森でお世話になって「日本どんぐり大図鑑」解説に添えられた点描画を描いた方くらいのレベルとか、全盛期の小野木先生レベル、果ては長谷川哲雄さん、、
もっと有名どころじゃ、スミレの図鑑を作った井波一男さんとか、
牧野富太郎さんくらいのレベルじゃったら(そんなことあり得ないが)、
嫉妬なんてされんよね;
だって、この方達のレベル超えようなんて、誰も思わんじゃろう!?
私のはそう思えるくらいなんだろうね、
・・・ということでまぁ頑張って下さい。
ただ、、こっち変な対抗心燃やされても、本当に迷惑なので。
絵が上手くできた時の一つに、
その時の子どもの心配事があったとか、
人間関係でモヤモヤしていたときとか
決定的に苦しいとき、
と言うのがあったりするのです。普通に上達したいけれど。
上手く描けない時というのもあって、そういうときは、
忙しいとき、
やっつけで描いたとき、
日々の生活の中で気が抜けてしまったり、燃え尽きてしまったとき、
だったりします。
息子中学生になったばかりの頃がそうなのと、
高校を卒業して社会人になったとき→この時の燃え尽きは、本当に不可抗力だったから。
野生動物の本を書いている方が、絵を描くときは、
「写経をしている気持ちに近い」とネットで話しているのを見て、それは分かる、とも思えます。
邪な物が入り込む隙なんてないのですよね。
あるのは描く対象とひたすら自身の上達のみしかないのです。
だから、嫉妬とか対抗心は見当違いなのと嬉しくないので、
そんな気持ちしか私のを見て持てないのだったら、どうかもう見ないで欲しいのです。
反応で嬉しいことは、
例えば私の通信とかネット発信で、
貴方の住む地域やフィールドとの共通点や違うところ、またはその生き物の生息状況などの情報のやりとりができることですね。
生物暦で今年はサクラの開花が早いとか遅いとか、
カイツブリやケリの最近の生息状況についてとか、
自分もこんなところに感動したとか、
観察会に関してなら、
こうしたテーマが良かったとか、あの出来事には感動したねとか、フィールドの良さとか、他でのこんなことがあったよとか、
決して、担当者などの揚げ足とりじゃなくて。
2つ前の旧ブログにも確か書きましたが、「競争や争いじゃなくて、分かち合い」なんだなぁ、と思うのです。
自然や生き物に対しての事で、有機的な話に繋がるのが一番嬉しいかな。
下の記事の更新作業にかかりますね。
この森のことを想うだけで邪なことは追い払える。。。
人間なんてめんどくさいけど、そうではない事もあると信じて。