*ここでの「ナウシカ」は原作になります。
まず、ヒロイン。
ナウシカは映画ではちょっと可愛い子ぶりになっちゃってますが、原作は少女らしさや女性らしさはあるけれど、より猛々しさが感じられます。
映画のように凶暴化して暴れる描写はむしろ抑えられていますが、全体的に男っぽい部分が多い。
もののけ姫のサンはその猛々しさより増し増しな感じですね。
共に虫や生き物、自然への想いは強いことも。
ただ違いは、ナウシカは生き物や虫、自然(腐海)と同時に人間への愛情も持っていますが、サンの方は人間は嫌い(アシタカを除いて)な事。
物語での人と自然との仲立ちの役は、ナウシカがそうですが、もののけではアシタカになるところ(ま、主役だからね)。
流れるテーマ。
映画と原作のナウシカ、どちらも自然や人への慈愛あふれる人物であることには変わりがありませんし、「青き人」としての予言された人物でもあります。
しかし、映画ではどちらかというと救世主のような存在として終わり、トルメキアとペジテの争い、巻き込まれた風の谷の危機が解決され、いづれ世の中は腐海が汚染された世界を清浄し、平和な世界が見えるだろう的なエンドですが、、
原作ではひっくり返されます;ある意味。
見方を違えれば、ナウシカは「破壊者」にもなってしまうから。
そして、森の人がこんな言葉を話していたことも。
「ケチャ(映画には出てこない土鬼国の少女)、青き人は救ってはくれないのだよ、ただ道を指し示すだけさ。」
ラストでそれが分かるかな。
この先もしばらくは、人が虫を殺してしまったり、腐海を焼き払ったりする度に、オームが怒って押し寄せることがあるかも知れないし、腐海が浄化の際に吐き出す毒におびえる日々は続くことでしょう・・・。戦争もまた起こるかも知れません。その中で、人同士が争わないようにと苦難を乗り越え、腐海や置かれた環境とも悩みながらも付き合いつつ、未来に向けて進んでいく、、という。
これは、もののけ姫にも言えることで、全てが上手く解決してめでたしめでたし、、にはなっていないことが共通点なんですよね。
シシ神の首を返して荒ぶっていたシシ神が鎮まり、森も再生の兆しを見せ、エボシ達は村作りのやり直しをしようと誓いますが、
では、タタラ場の人々と、サンと山犬兄弟が和解したかと言えばそうではなさそうです。
だって、サンは「人間を許すことはできない」と言っているし。
それでもアシタカはタタラ場に住みながら、サンに会いに森に今後も通うことになるわけですね。
ここでも、これからも、暮らすために森を切り開こうとタタラ場の人がする度にサンが怒ったりして、アシタカはその間を取り持とうとするのでしょうね。
ただ取り持つのではなく、森と人が双方に歩む道を苦悩しながら探っていくのでしょう。
「未来少年コナン」や「千と千尋」に見られるように大団円で終わって万歳!にはならないけれど、それでも進んでいく、みたいな。
でも現実の世の中は、こんな事の方が多いと思います。自然保護活動でもそれは言えて、悪と善、と割り切ることの難しさを時が経つと思うことが多くなる。
それでも、自然と人のあり方について考えていかないと未来が危うい、のでやめない、みたいな所ですね。
*ナウシカ原作についてはあまり敢えて書かないようにしましたが;
これは他のサイトで調べれば沢山出てくるので気になる方はそちらをどうぞ。でも一番は原作マンガを読んでみて感じてもらうことでしょう。
因みにこんなのを見つけました。
見た後でキャラクター像の見方が変わってしまう恐れがあります;そこは自己責任で(笑)。
そうそう、カヤの小刀の件、私も少しそう思ったのよね。
ともかくも、笑える;;
ちっちゃく追記
原作のナウシカ、結局ああいう行動になってしまったのは、滅びへの受け入れだったの?
いえ、そうじゃないと思います。
作品、絶望ではなくかすかな希望も感じられたので。
現世でも、人が生態系や生物を人の思惑通りにしようと思っても、必ずしも思った通りに行くわけではない事例はたくさんありますものね。
良い例が外来種問題で、人の都合で導入したものが逃げ出して生き延びるケースは沢山あるし、例えば、2年しか生きられないはずの導入した外来オオアカウキクサ、交雑して5年間は生きながらえたりするから・・・。生命は未だ人知を越える部分があると思っています。