もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

うう~~~~~ん、、、私は「駄目」かもなぁ・・・・・。

下の記事がまだ途中なのにゴメンナサイ;

色々更新したい内容在りますが、ここ数日でできるかしら?

 

一つ前の旧ブログで、愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」について書いたり、実際にトリエンナーレ最終日に観に行った(不自由展は結局抽選に外れたので観られず)ことなどを書いています。

 

さて、その「不自由展」の出展者のお一人の映画紹介がFacebookタイムラインで出てきて、予告動画観てみたのですが・・・・・。

最初のさわりで「駄目だ~;;」となってしまい停止してしまいました;

お題は天皇制とは関係のない内容ですが。

 

どうも作風に流れる「猥雑さ」が私には駄目だったみたいです;ご免、受け入れられないと思う、感覚的に。

この方の昭和天皇のモチーフ作品何点か観る機会もネットでありましたが、まだ何点かはそれでも「そういう主張なんだね」と観られますが、1点だけは駄目でした;

天皇制批判の是非とかではなくて、その作風が私には駄目みたい・・・。

勿論観る人の感覚や、受け入れ度合い、好みや批評はそれぞれなので、そこは否定しないですし、所謂、犯罪性とか危険性が高い作風でもないと思っています。

 

ただ、私には「駄目でした」となったみたいです。

 

ここで改めて、「表現の不自由展」について。

・この方の作品だけではないのですし(そこでの作品に猥雑さは無かったみたいですし)、展示自体は世に問う意味合いはあるのだと思ったので観てみたいな、とは思っていたのでした。

・ただ、展示自体結局観られなかったので、全体の賛否や各出展作品についての賛否は言えないまま、です。

・展示自体を中止にしたり、交付金払わないとか一時なったりしたことは、望ましくないし残念だったと思います。残り期間少ない中、抽選という形でながら再開したのは良かったと思っています。

・展示内容の賛否、特に観た上での賛否は自由だと思います!勿論「否」はあって良いと思いますよ。そこはせやろがいおじさんの意見とほぼ同じ!世に出た作品は全て批評の対象になる、そういうことかと。

・否だからと言って、展示中止の脅迫したりすることは勿論駄目ですよ!!そこには何の正義もありません!!

(とはいえ、脅迫の罪の問われた人が法的な罰を受けたこと自体は異論はないですが、仕事が無くなり、更に家族からも断絶になったというのは酷すぎると思ってしまいました。反省していたみたいだからやりなおしはあって良いんじゃないかと。)

・更に、、否だからと言って、そこから派生した脅迫の煽りで、例えばお子さんの学校が休校に一時なって、丁度進路か何かで影響が多少出たことで、展示自体が「悪者」とする向きはなんだかな、です。展示のスタッフや出展者さんが中止になったことを抗議して脅迫したなら話は別ですが、相手が違うもの。

良くある、園や学校のクラスに支援を要するお子さんがいることで、「自分の子が充分に教育受けられないのはあの子がいるからだ!!」と本来の教育方法やあり方にではなくて、矛先を全く違う方向に向けてしまうのと何となく似たものを感じてしまいましたよ。(親という生き物は我が子に降りかかると感情的になってしまうのは分かりますが)

→こだわってゴメンナサイ;でもこれは論的ではなくて主観だと思うし、展示が好ましくないと思うとそう思っちゃうだろうな~、とは思いますが。

 

と、不自由展に関しての考え自体は変わってないです。

 

まあ、トリエンナーレ、観られた作品も様々で、「何となく言いたいこと分かる」「これは良いかも」「う~~ん何だろう?」「これは私には駄目だな」と色々でした。でもそれで良いのだと思うのです。犯罪性や宗教とかに触れては駄目ですが、そうでないなら様々な作品が観られることは健全な社会だと思いましたね。