読了しています。
通信のお便りにも感想書きますよ。
私が多分以前まで抱いていた標本イメージ=珍しい物や綺麗な生きものを捕獲して剥製や標本として集めて自慢する~、というものは覆されると思います。
機械伯爵もね。
大航海時代など、昔の時代はそのイメージ通りの要素の方が主だったとは思いますが。
中には既に絶滅となってしまい、標本でしかその姿などを見ることができない生きものがいる一方、新たに発見された生きものが実は標本のDNAと照らし合わせた所、滅んだと思っていた生きものの再発見になった事とか、調査が進んで、極普遍種の一形態だったことが分かったり、復活のための再導入に際して、元いたその生きものの同じ遺伝系統の生きものを放すための調査に役立ったり、
また、植物の実が特定の虫の食害で種子が実らなくなったのはいつ頃なのかをその植物標本に残っていた蛹から突き止めたり。
そして植物では生きた状態で域外保全して保存しているリビングコレクジョンという物があるのですね。
標本=死んだ生きものを集めて、というネガティブな見方をしがちですが、今後の生物多様性保全に向けて様々な調査や研究のために役立っているものでもあることが読めば分かります。将来復活の手がかりにもなる可能性も秘めているのですね。
とはいえ、
標本だけ、またはリビングコレクジョンだけになってしまう生きものがこれ以上増えないで欲しいとも。相変わらずの開発もそうですが、近年は増えすぎたシカの食害が深刻であったり、外来種によって滅ぼされる事態もある、なんと小さなプラナリアの外来種が、島の固有の陸貝が絶滅に近いと知って驚いています。
さて、この前お会いしました豊橋の写真家いがりさんと標本について話題になり、やはり抵抗感がまだ、、という私に、
「標本のための採集は、いわば人の採血の様な物」との言葉が。
つまり、採血はしない方が体には良いけれど、採血して体の様子を調べずにいて深刻な病気になって防げなくなるのは困る事になるから必要不可欠。
そしてどこまで採血すれば良いのかの量の見極めが必要だよね、これと同じ事だと言える、
という説明に、
「なるほど~!!」と膝を打ったのでした。
今まだ精文館書店本店の3階辺りの階段に平積みで売っていますヨ。
は~はっは、と高笑いする機械伯爵、、はだんだん遠くなったかな?