もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

公聴会に参加した出来事について

まずはこちらの案内を出しておきます!!

 

さて、

予告で触れていた、「公聴会」とは何なのか?

kotobank.jpいくつか解説が続きますが、「百科事典マイペディア」が私が経験したのに近い意味合いだと思います。

 

私が体験した公聴会について。

もう25年も前になるのか・・・・・。

1998年にとある計画の環境影響評価=アセスメントのその頃できた新法前倒し適用が行われることによって開かれたと記憶しています。

私を良く知っている方なら、あの計画のことだと分かる事でしょう・・・。

その時開催された公聴会では、

・その計画内容について、意見を公の前で述べる人=公述人を募集し、

・応募した人の中から選ばれた人が、管轄行政担当者が開催した公聴会の場で意見を述べ、

・傍聴者もいて、聞くことが出来るというものでした。

最初は各市民団体の代表やそれに近い立場の人や、主力となる人が選ばれ、私は応募しましたが他の方と共に当初は外れたのですが、最初の公聴会で「選ばれなかった人も全員発言すべきだ」という意見が相次ぎ、紛糾。その結果二回目の公聴会が開催され、その際に私も公述人となって意見を言うことができたのでした。

様々な方が出られ、意見も計画内容に沿った内容ばかりでは無く、公述人のシンプルな思いなども述べられました。

計画に反対の立場の方、賛成の立場の方双方出られ、一人に充てられた時間は限られる中伝えきれないため伸びることもあるのですが、それを賛成側の方が批判する場面もあったり、意見内容に応援や歓声、または怒号も飛び交ったりしたことを覚えています。

 

藤前干潟を守る会」の当時の代表辻さんの意見がとても素晴らしかったことを今でも良く覚えています。

以下に当時公述人となられた方の書き込みも見つかりましたので。

kyoshoku.coop.nagoya-u.ac.jp

こちらも。

http://www1.clovernet.ne.jp/khatta/koutyoukai.htm

 

午前と午後、お昼を挟んで開催したのでは無かったかな?

当日全部聴いていて、開催地は豊橋からは遠く離れた瀬戸市。疲れたと思います。あの頃はまだ若かったので良かったけれど、今の年齢だとちょっときつかったかも知れません。

 

この公聴会が計画そのものに破壊力を持つわけでは無かったのであるし、計画が変わったのは別の要因でした。とは言え、様々な皆さんの働き掛けが繋がったということは言えたでしょう・・・。

 

もう記憶の底に眠っていて、時々そんなことがあったと脳裏をかすめる位だったと思っていましたが、何故今回ここに書くことになったかについては、次回に続きます。

 

*同様な公聴会は、神宮外苑再開発に関わるアセスメントに関しても行われた模様です。