もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

豊橋公園は、いったい、誰のもの? 闇雲にアリーナに向かう前に本来して欲しいことは? 前編

児童遊園にある「豊橋の巨木・名木」の一つに最近指定されたばかりのカイヅカイブキの大木です。

この樹が無事でいられるのかどうか、心配になってきました。

上から順に、5月30日付市の報道発表資料、多目的屋内施設基本計画策定図の既存施設の配置図と、多目的屋内施設基本計画策定図です。



さて、最近基本計画が策定された、多目的屋内施設(新アリーナ)に関する計画図と、現在の計画予定地の様子を画像で見てみましょう。

真ん中下の「駐車場(約400台)」からまずは時計回りに豊橋公園東側のアリーナ計画予定地になっている、現在の豊橋公園の姿を紹介していきます。

 

児童遊園→駐車場(約400台)計画。

子ども達が遊び、かつては私の息子も遊んだ場所です。ここが駐車場(約400台)になる予定です。

冒頭の巨木カイヅカイブキがある場所です。他にも児童遊園の周りには樹木が取り囲むようにあって涼しい木陰を提供してくれています。

かつてはもう少し遊具があったのですが、次第に老朽に伴い撤去されて新しい遊具は作られていない状況でした。

この児童遊園のヒマラヤスギの親樹は、何と京都府立植物園にあるのです!!

落ちた実の鱗片を拾いに行くのが楽しみな場所です。

駐車場になってしまったら、これら親しんだ樹木達の伐採が行われてしまうのでしょうか?

美術博物館駐車場(有料)→シャトルバス乗降



豊橋球場→多目的屋内施設(新アリーナ)計画。

当初は現豊橋公園駐車場の辺りに計画されていた多目的屋内施設(新アリーナ)でしたが、その場所が家屋倒壊等氾濫想定区域(河岸浸食)内であることが判明し、区域から外れる豊橋球場か陸上競技場になるのでは?と言われていましたが、中間報告で豊橋球場になることが判明しました。

現野球場を解体して、豊橋総合スポーツ公園(神野新田町)に移転が計画されていますが、ご存知の通りその場所は津波が起こった際の特定避難困難地域なのですが・・・。

記者会見で市長が「手狭」と話していた豊橋球場、見た限りでは充分な広さがありますよ!そして多くの児童野球団が利用したり、時にプロ野球開戦の場となっている所です。

この球場周囲も街路樹が取り囲んでおり、ヒートアイランド防止の役に立ってくれています。

 

テニスコート(軟式・硬式)→こども広場計画。

小中学の部活大会でも使用されているのではないでしょうか。

(近年小学校の部活は廃止されていますが。)

児童遊園が駐車場になる代わりに子ども達が遊べる「こども広場」になる予定です。しかし計画では一部有料になるようです。

今まで無償で遊べた場所が無くなる代わりに今度は一部とは言えお金を払わないと遊べない場所ができることになります。

 

芝生広場・現駐車場→多目的広場<ひろばゾーン>(一部芝生広場か?)へ。

最初の計画では、ここが多目的屋内施設(新アリーナ)になる予定でした。

画像右に写っているのはムクノキの大木です。

多目的広場、となると聞こえは良さそう?ですがいざ蓋を開けたら人工的な空間になってしまうかも知れませんね。

 

元市民プール・テニスコート軟式・武道館→テニスコート(16面)へ。

市民プール廃止については、廃止しないで欲しいという市民からの働きがあり、署名活動が行われましたが、その望みは叶わず、廃止・プール場は解体され現在は駐車場になってしまいました。プール用だった建物は、管理事務所になっています。

武道館は老朽化が言われ、多目的屋内施設に集約される予定・・・。

16面のテニスコートになる計画があります。

さて、

新アリーナ計画で民間企業に運営をゆだねた後と前とでは、市民にとってどちらが使い勝手が良いのか?

・・・・・このことに関しては、次の記事で述べたいと思います。

 

豊橋公園東側の「総合運動場」とされているエリア内には史跡もあります。

史跡

画像は、「徳川家康公腰掛松旧阯碑」。

「安久美神戸神明宮旧阯碑」

「城内八幡宮旧阯碑」

新アリーナ計画で工事着工になったとしたら、これらの史跡はどうなってしまうのでしょうか?守られたとしても、商業施設の中に残される形となり、不似合いな様相になってしまいそうです。

 

陸上競技

陸上競技場だけは最近リニューアルされたこともあり、現状のまま残されることになります。しかし運営は他の施設と共に総合運動管理事務所から民間企業運営にゆだねられるのでしょう・・・。

画像左は豊橋球場周囲の樹木です。回りに樹木があってヒートアイランド防止になっていることは、スポーツを行う面でも夏場はかなり健康被害防止に役立つと思いますし、冬場は豊橋特有のからっかぜも防いでくれているのではないでしょうか?

 

ここからは、自然観察などの場などでも馴染みがある豊橋公園西側とされるエリアを。

吉田城鉄櫓

豊橋市民お馴染みですね。

鉄櫓は昭和29年に復元されたものです。このほかに城趾遺跡として石垣が残っていますし出土品も出ています。壕阯も何カ所か見られます。

最近、この吉田城趾を保全活用する動きが出てきています。

石垣保存と城趾利活用と公園樹木の保全の兼ね合いがどうなるのかが気になる所です。

 

三の丸会館



公園を歩いた後、一息付く場所として利用しています。窓の外から眺める豊川と周りの樹木の景色に癒されますね。

利用したことはありませんが、茶室や和室の利用も可能なようです。

www.bunzai.or.jp

豊橋市美術博物館(改装工事中)

豊橋市民にとって身近な美術館。

企画展では、日本国内の美術家作品のほか、アニメーション作家や漫画家の原画展なども開催されたことがあります。

また、豊橋や近隣で活動されているアート作家さんの展示も開催されています。

何と言っても館内からのこの画像のハナキササゲ(名札はアメリカキササゲになっていますが正しい名前では無いです)が見える眺めは四季変化するもう一つの美術作品の様です!

toyohashi-bihaku.jp

豊橋市役所



豊橋市民の皆さんが、1度は訪れる場所では無いでしょうか?

市民の生活の様々な分野にわたって働く機関ですね。

そして豊橋公園はそんな市民のために働く職員さんや、手続きなどで訪れる人たちの、ほっと一息つくことのできる癒やしの空間となっています。

もしも、この市の要の公共機関のすぐそばが、音響などが聞こえる巨大イベント会場のそばになったとしたら、とても落ち着かない場所になってしまうと思いませんか?

「静の空間」は公の市民のための機関にふさわしい環境であると思いますが。

 

戦争遺跡

豊橋公園は戦時、歩兵第18連隊の訓練場となっていました。

その頃の施設の名残が何カ所かあり、「戦争遺跡」と呼ばれて、戦争と平和を考える生きた教科書として人々に語り伝えられています。

市役所側の豊橋公園の門は実は当時の連隊の門だった物です!

 

そんな様々な顔を持つ豊橋公園、東と西、に最近行政は分けたがりますが、本来はやはり多様な顔を持つ一つの公園なのです。そして、

 

豊橋公園の数々の施設等をつないでいる樹木

公園の樹木達は全エリアをつなぐように存在しているのです。正に公園内の「緑の回廊」ですよね。

この樹木が一帯であるからこそ生きてきた鳥類や虫類が見られ、生息している植物種もあるのです。

樹木は生きものにとっても、無論、人にとっても大事なものです。

この樹木保全のあり方を考えていきたいし、その時なのでは無いでしょうか?

そして、

 

そばを流れる豊川

豊川沿いの環境も忘れてはなりません。

沖野と呼ばれる一帯の、大雨の時の水を溜めておく遊水池としての機能、川に親しめる場所、そして牛川の渡しなど、

豊橋公園とその周辺は、豊橋の地域特色が豊かな場所、正にランドマークと呼べるものなのです。

 

闇雲に今アリーナ建設GOサインに向かおうとしている市長はじめ市役所幹部の皆さん、そして関連の皆さん、

 

本来は、その前にこの場所の魅力や、持続可能だからこそできる可能性についてのあり方にこそもっと目を向け、審議するべきなのでは無いでしょうか?

 

一つでは語りきれないので次回に続きます!