もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

豊橋公園は、いったい、誰のもの? 6月2日の大雨災害から見えてきたものは?

 

冒頭にすがや竜さんからの6月2日当日のツィッターを紹介させて頂きました。

6月2日は、今までに無い大雨災害でした。

東三河一帯は川の氾濫や道路の冠水、床下浸水、土砂崩れなどが起こりました。

豊橋公園に近い下条でも床下浸水があったとのこと。

その後6月4日にまなざし自然観察会の後に市役所13階に上がってみて、すがやさんが撮影していたのと同じ場所をデジカメ撮影してみました。

すがやさんの当日の動画と見比べてみて下さいね。

向こうに見える金色島。当日は中州のヨシ原などがすっかり水没してしまい、島だけが浮かんでいる状態でした。

豊川右岸側になるのかな、の沖野、または霞堤と呼ばれている場所。

ここも当日は水があふれていました。

このあたりはかつてから大雨時の氾濫を見越してあふれた水を遊ばせる「遊水池」としてきた場所だったそうです。

正に、この地域は下記の長坂さんが当時書かれたブログにもある「危険箇所」なんだと実感。

 

nagasakanaoto.blog.jp

やはり6月4日に、長坂さんのブログで危険箇所と言われていた場所に立ち寄ることがありました。

三の丸会館隣の遊歩道から豊川沿いの広場に降りてきて、そういえばオニグルミ見たいね、ということになり、近くのモミジバスズカケノキ等がある辺りに足を踏み入れるとどうやらそこだけぬかるんでいる・・・。薄く泥が積もっていたのでした。

樹の下にも泥をかぶった跡が。

と、、、いうことはここまで豊川の水が氾濫して来ていたことになるんですね!!

そしてその近くの朝倉側にかかり、沖野、または霞堤に繋がる城下橋はご覧の通り。

川の水があふれ、水位が上がり、濁流で橋が浮き上がってしまい、通行不可になっていました。流されて来た草などが引っかかっていました。
このあたりでは、かつての大雨災害で、住民を救助しようとして殉職された4人の巡査の碑があります。その意味の重さを感じた日でもありました。

www.net-plaza.org


この一帯の地域は無理矢理な開発や建設ではなく、自然を残しながら、大雨時には立ち寄らないようにすると言った付き合い方が理にかなっているように思うのですが。

 

そして、災害時における2日の豊橋市の対応。。。

他にもアラートを発するのが3時間遅れたというニュースも。

 

ネットの書き込みや、知っているカフェの方のお話しなどから、夕方道路などが冠水で凄い状況の中、小中学校は2日は休校になることも、お昼で帰宅することも無く、ほぼ通常通りの開校で、水があふれる道を下校していく子ども達の姿を見てびっくりしたり心配したという声を数々見聞きしました。

 

愛知県内では豊田市は前日に全校休校を決めたそうですし、4月に出かけた飛騨市でも市長さんが休校措置をしたことをFacebookで表明していました。

コロナ禍でも問題になった豊橋浅井市長の危機管理の意識の低さが問題視されることとなりました。

*8日、また2日ほどではないにしても9日にかけての大雨が予報され、今回は豊橋市、当初学校給食の停止、後に休校の判断に踏み切りました。広報ニュースの放送も流れていました。このことは良かった事だと思います!

 

後付け見たいなアリーナでの「防災拠点施設」構想ですが、まず現時点での豊橋市の防災体制のあり方を建て直さずして建物ありきでは解決にはならないですね。

むしろ今の市役所をその機能に充てられないのかな・・・。13階から豊川の状況が  手に取るように分かるのですから。

しかし以前に市の防災危機管理課に於いては議事録を取らないという事を聞いています・・・。これが 本当なら 2日のようなことは容易に起こりえた気もしますね。

 

この反省を次に活かして欲しいのですが、翌日議会で早急にアリーナの最新計画案を通そうと豊橋市はしているようです。

 

追記

4Hさんがリツィートして下さいました。