もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

境界線

今までも時折書いてきたことですが、

このところの考えの流れについて、自分としてどこまで許容できるか否なのかについて書いてみました。

あまり無用な対立は生みたくないです。

ある意味棲み分けのような、深入りしない位置とか、そういった立ち位置を見極めていった方が良いな、と考えるこの頃です。

というわけでタイトルはその意味での「境界線」。

 

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ワクチンの考え方

コロナワクチンなどで副反応が気になるため打たないといった選択をすることまでとやかくは言えないけれど

全てのワクチンを否定、というのには賛同しかねます。

 

感染爆発時期の疾患などが理由では無いノーマスク主張も賛同できません。

特に飲食店など衛生に注意を払う場でのそれは、そこのお店などを利用することはしません。

コロナ感染は免疫をすり抜けることや無症状者からも移るリスクを最初から無いものとみなして論じる動きにも懸念はしています。

 

但し、この方面で考えは違いながらも気を使ってくださる方も見えるので、そこは感謝していますしお付き合いできます(^^)。こんな私でよろしければ。

 

そして、

人の命やかつて痛ましい事故や事件に関するデマや陰謀論は一番許せなく感じることに気が付きました。

某所反ワクチンクリニックで関連性の無い高校生の生徒さんの死亡案件をワクチンによるものだと、ネット記事に挙げ、その生徒さんが通っていた高校先から抗議がある出来事がありました。

記事は削除されましたが、その件に関する謝罪はありませんでした。

声高に自身の「正義」を言っていた事に対してのそれはあまりにも不誠実ですね。

私が学生だった頃起こった痛ましいとある事故に関してもあり得ない陰謀論があることを最近知って絶句しました。軽率すぎます。

この領域の説には慎重になってもらいたいところです。

 

お子さんを持つ母親を不必要に不安にさせるものも駄目です(発達障害はオーガニックで治る=農薬は良くない、という実際には証明もされていない言説は、オーガニック界隈でメインには出てこないながらも付帯的な主張として出されているようです)。

 

このような主張をベースとしてあらゆる活動の分野で出してくるなら、本質疑われても仕方が無いと思ってしまいます。

例え元の主張だったはずのものが真っ当だったとしても聞き入れてもらえない、信頼されない恐れは充分出てきます。

当然ですが、対抗側から見れば、それは格好のレッテル貼りとして使われますよ。

あの人たちはそういう人なんだから信じてはいけないと。

何のための動きなのか、1度立ち止まって振り返りは必要です。

 

と、今後自分の立ち位置的な事も含めて、この流れのどこまでが受け容れられない境界域になるのか整理してみました。

 

間宮さんの記事は救い・・・。

agrifact.jp

*流している当事者の方はその自覚は無いと思いますが、陰謀論を目の当たりにしてしまうダメージがあることをご承知起きして貰いたいです。

ここ最近の不調は溜まった疲れによるものもありますが、後押しされてしまった面もあるね。

家族が嵌まったというケースのマンガを見ましたがそれは辛いだろうな・・・。

一昔の市民活動にはあまりなかった(昔から感情論や無意味な抗議活動に走る動きはありましたが)危うさであると思います。

 

*表現が強めだと思ったのでいくばくか変えました。