もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

実は自然見ていないんじゃ;

自然派自然派、と言いながら、

肝心の自然のことを見ている人はどの位いるのでしょうね。

結局自分たちの「心地よさ」だけにしか焦点がないのでは。

自分と同じとまで行かなくても、そのなかのどれ位の人が同時にアゲハチョウやツバメや自生の草木、ウナギの未来のことを真剣に考えたり心配するのでしょうか。

(中には見える方もいると思います。)

しかも、、もうなんでこの期に及んでコロナ軽視やインフルエンザ以下と言い、ワクチンやマスクは陰謀論を言い続けるのでしょう、、

インフルエンザ感染はこのところ驚くべき少なさです。感染予防対策の成果なのでしょう。

にもかかわらず、コロナは増えているというのは感染力の強さに他ならず。

そして死者が1万人に届きそうです。

まぁ、或る意味感染を受け入れて人間の数を淘汰して地球に自然に迷惑かけないようにしよう、と主張するなら、賛同は出来ないまでも分からなくもありません。

究極はそういうことになってしまうよね。

そうでないのなら、、ゴメンナサイですがカルトだともう思ってしまう。

折角それ以外の活動が良くてもそれで幻滅する。

なんでこんなところにばかり行き着くのでしょうね。

表情の乏しさへのリスクと、感染で命に関わるか、または長引く後遺症となるリスク、どちらを選ぶのでしょう、、

前者なら、取り戻しや、制約の中でも家族の中で対策できる余地がある気がしますが。

 

ということで、

マスクは勿論だし、ワクチン、ファイザーなら打って、元に近い活動したいです。

なるべく環境に影響をかけない暮らしは心がけ、生きものの心配し続けます。

 

*既に変異種がでて猛威も振るっているらしい;

この最中にナントカピクニックとは狂気の沙汰としか思えなかったですね;

一応やらなくなったらしいですが、とはいえ常に気にせずこれまで通りのことをしている動きは見てしまえば結構あるよ。

と言う自分自身も油断は大敵。

 

 

 

 

*新しく書くのは控えてここで。

コロナ禍のことを経て、所謂「自然派」に懐疑を持つようになりました。

なんとなく、ノーマスクというブームに押されている気もしています。

本来信条としているはずの、体に安全な食の紹介とか、奮闘している有機農業さんのことなどを取り上げているのではなく、コロナデマ疑惑一辺倒な記事を挙げるのに血眼になってしまっているのを見ると何なの?と思います。

 

いえ、でも似た傾向は昔もあったと思います。その頃は開発問題があったから、行政叩き(勿論本当に良くないことは言っていかないといけませんが、不必要なまでの)でしたね。

20年くらい前にも、環境というキーワード、理念、ムーブメントで様々なイベントや自然系のショップがあの頃も出たりしたのですが、

スピリチュアル方面もありましたね。

皆さん、イベントには一生懸命になるんですよ。楽しいですし、一体感や高揚感があるからでしょうね。

そうしたムーブメントが悪いとは言わない。きっかけでもあるのだから。

しかし、そこから、普段の日常で環境への影響や、自然生態系のことを考えながら、どう生きていくのかというところになるのだと。

そこに繋がるのは少ないし、続けるのも少ないのじゃないかな。

なので、気候変動のデモのうごきがあったから→未来は明るくなる、とは単純には思えず、醒めた見方もしていはいます。ただし気候変動関連のデモなどには反対はしませんよ。

そして今はなんだかより非科学の面で偏向になってきている気がします。SNSがそれに拍車をかけているのでしょうね。例えば、医療現場関連の人が嘘言って何の得になるんやねん;;

東三河周辺でもそうした考えの人が何人か見えるようですが、県内感染者数3位になってしまった豊橋市(名古屋よりは少ないとは言え)で、変異種も多分既に入っているこの状況の中、気がかりではあります。

私も自身の行動には自問自答中。あの場所には行きたいのだけどな~(勿論単独行動で。ご飯は一つ屋根の下の家族以外とは行っていません、)。

 

tabitora.hatenablog.com

上の記事には書かない;;

また変なカルトっぽい動向見てしまった;反ワクチン派でない場所なのに;;

(そのオーナーさんは怒りコメントされています)

打たないのは自由で止めないけれど、打ちたい意思のある人の行動を阻害するような行動は逮捕案件だと思う。

また、感染対策意識緩い人との関わり方は慎重に考えなければいけないといけないとも。リアル場面での関わり方ね。ランチもお茶もお泊まりも出来ないよ~;;