も~、ま~~た、この話~~~?なんて言わないで(苦笑;)
コロナ禍で何が分かったかと言えば、その感染力も勿論ですが、人々の向き合い方を通しての内実の現れがこんなにも出てきたのか、ということになるのじゃないかな、と思うのです。
各自治体長の方の危機に対する対応の違い、危機感そのもの、
それから、感染対策をしようと心がける人、
コロナなんて風邪の一種、ワクチンやマスクは強制だからしない、またはするなと言う人、
→残念なことに自然に近い生き方をしようとしている(?)人が何故かこれにはまってしまい、以後取り憑かれたようになってたりしていてげんなりしていましたが、元々本来の自然との向き合い方がある人が果たしてどれ位いるのか疑問でもあります。そのリトマス紙みたいな感じなのかな?<ワクチンやマスク忌避寄りになること。
だって、自分の心地よさや快適、安全さ?→実際はリスク大だけど、の追求はするけれど、他者や、そして更に人以外の生きものとの関わりにはあまり繋がっていないから。
このことに関しては、今読んでいる或る本の中で言えているな~という要素と相通じる感じがあると思っていて、その本の感想(難しいのだけど)でも含むと思います。
さて、やはり本の話題ですが、
あの、親身で優しくコロナウイルスのことを説明されている忽那先生が、とうとうこんな記事を書いたのを知りました。
「読んではいけない「反ワクチン本」」
コロナ関連で普及や啓発されている医師の方の中には、デマ情報を迎え撃つ戦闘態勢の方も見えるのですが、忽那先生は一貫してただただ正しいエビデンスを述べていく穏やかさだったのですが、
勿論、本記事も過激ではないですよ;でもこうまで具体的に書くというのは、やはり文中にもあるように「看過できない」と思ったからなのでしょうね。
私はそれらの本は読まないけどね。読む時間なんて無いし、他に読みたい本がある。
今読んでいる本はコロナなど感染症についてではなく、自然の見方についてなのですが、乾いた冷たく人間中心の自然を制覇する見方vs自然を感傷的・感情的に見る見方、に引き裂かれているとあって今の時世でも当てはまる部分があるように思います。
引き裂かれた世界と言えば、意味合いは違うのですが、
最近SNSを2種類持つようになりましたが、一方でのつながりなどではどちらかというとコロナの危機感とかにはスルーされるし、ワクチンなどに関してはつながりの方には忌避している方も見えると思います。
もう一方ではコロナ対策への危機感、ワクチン接種のことを戸惑いながらも接種の流れがあったり、先の世界では前に「良い」とされていた事々の別の負の側面があることを知ることとなってしまったり、このパラレルワールドな感じに驚いています。
ただ、、忌避派の人は、多分もういくら感染者数が爆発的に増えても、デルタ株などの変異が猛威を振るっても、コロナにかかって大変な経験をした方の体験記が流れてきても、変わることは無いと思います。
多分決してお互いわかり合うことは出来ない、交わらない地平の世界になるのかな。
身の回りでコロナが身近になってしまっているのを感じている身からは、その主張は「何を言っているんだろう・・・。」としか思えなくても。