もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

人間の業

どんな人でも、神にはなることが出来ません。

一見高潔であっても、その発言が多大な影響力を持つ、インフルエンサー的な人であっても、得てして矛盾があったりするし、どこかに偏見や排他的な見方、感情でみてしまう部分があったりする。

要するに、矛盾に満ちた生き物なのです。

人はそんなに進歩はしていないよ、思うほどには。

「差別は行けない」といいながら、障がいのある方が関わる先に見えると迷惑視したり、ある地域や出来事、所属など諸々に勝手にステレオタイプやレッテル貼りを無意識にしていたりします。

自分にもきっと無いとは言えないだろう・・・。

人は己自身のことは意外と見えていないものだと思うから。

「いい人」振りながら、表の場で意見は言わず、陰で仲間内で文句などを言ったり、他の人を使って「意見(私見)」を言わせたりという「後ろから撃つ」卑怯者がいたり、

「議論を対立ではなくしていくことが大事」としながら、ご自身とは違う意見のコメントに辛辣な対応に終わるなどのキャパの狭さを露呈したり、

何かを語る前に、まずは己の矛盾さや醜さを振り返るがいい・・・。

 

遠藤周作さんのエッセイで、ハンセン病棟を訪れたとき、そこで献身活動している高潔なシスターのかたが、患者さんの手を取って、いかにも哀れむような扱いをしている中、当の患者さんが苦痛の表情を浮かべているのに気がついた、とあります。

シスターは差別受けやすい患者さんに「献身」しているつもりでも、無意識の中に自身が上位に立って見下ろしている部分があるのを遠藤さんは感じたという文がありました。高名で、志が高いシスター(キリスト教の尼僧)の中にも、無意識にそんな感情がある、と。

また、私は遠藤周作さんの軽くてちょっとユーモアと皮肉もあるエッセイは良く読んだのですが、小説は重くて、なかなか読めずにいたのですが、その中の一つ「私が、棄てた女」をようやく読んでみて印象だったのは、

ミツを棄てて、また都合良く近づこうとした男はまあ、勿論ある意味最低野郎なんだけど(理不尽に出世して、素敵な女性と結婚して家庭を築きます)、

一方ミツも純真なんだけれど、あまりにも愚鈍な様子が表現されていて、第三者な立場で読んでいる私には、これがイライラ、としたのです。いい加減気づけよ、と。

この愚鈍さ、自分自身の中にも多少なりともあるので、余計にそう感じるのだと思います。

ミツも決して100%崇高なのではなく。でも最後は昇華したのかな、彼女の人生の中では。

遠藤周作さんは、人間の業を書くのが本当に上手い、と思いました。

実家に小説他のものがあるので読んでみたいところです。

遠藤周作さんを知った経緯はあまり良い思い出からではないですが、エッセイだけでもいろいろ面白く、そして参考になったのでした。また読もう。

 

それぞれの「業」を見つめることは大事であり、そこからどう調節するのか、コントロールして、思わぬ行動や言動に繋がらないようにしていくのか、気をつけていきたいと思います。勿論ですが完璧な人間なんていやしません。

問題なのはそれに気づかないことか、気づいてもごまかすことだと思うから。

物事は後ろ向きではなく、前向きに行く事が肝心だけれど、こうした振り返りはしていきたいですね。

人は誰でも間違うし、完璧ではない。それを見ないと進歩なんてしないだろうな、と。

 *追記

数年前に遠藤周作さん原作の「沈黙」が映画化されました。プロモーションビデオなど見たのですが、、内容が、、かなり残酷で怖いと思ってしまいました。かつてのキリシタン弾圧の時代のお話し。誰もがきちべえ(ひらがなでゴメンナサイ;)のようにはならない、なんて言えない究極の中の苦悩のお話し、原作もなかなかあっても読めないかも。

実家にあるのは「さらば夏の光よ」です。学生の頃、昼ドラで放送していて、岡田奈々さん演じるヒロインを想う柳沢慎吾さん演じる主人公のお話で、途中までしか見ていなくて・・・。原作本眠らせたままです。でも結末は・・・。