もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

その言説は、本当に市民のための物なのか?そして民主主義なのか?

今のの地に来る前から市民活動には関わることもあったので、市民活動の大切さは分かるし、そのものを咎める意向は全く無いです。

しかし、市民活動が全て正しかったり万全なのでも勿論無くて、時に危うさもあるのは以前からもあったことではあります。

当時から、あまりにも感情論的で客観性が乏しいものであれば、周囲は理解を示してくれないどころか非難の対象にも成りかねず、また行政との対応でもそのように見られてしまうため、不利になる可能性もあります。

 

2023年のの5月辺り。

とある航空機の大惨事事故に関して、聞いたことが無かった陰謀論説があるグループLINEに流れてきたとき、ショックのあまり体調を崩してしまうと言う出来事がありました。実際には疲れが溜まっていた中で、不調のスイッチが押されてしまったという感じですが。

当時の様子をリアルタイムで知っていて、犠牲者、遺族、そして数少ない生存者の事を見聞きしていた私には、それはあまりにも軽率であり、またその説は実行しようとしたとしても無理そうな内容だと思いました。

その頃書いた記事。

 

morigaiisutekisizen.hatenablog.com

morigaiisutekisizen.hatenablog.com

今回敢えて書かせてもらいます。

どういうわけか、行政に対峙する形(そうせざるを得ないというのもあるけれど)での市民活動を進める中には、陰謀論やワクチン忌避、コロナ禍でのマスク忌避、オーガニック信仰(勿論オーガニックそのものは悪くはなく)に結びついてしまう、親和性が高い人が非常に多く、困惑と失望を感じることもあります。

時にそうした動きとは完全に切り分けて行動したくなるのけれど、現実にはそういうわけにもいかない部分が多いです。またそれらに傾倒する人々が「悪人」なのでもなく協力してくれることもあります。普段の会話ではごく普通の地平での会話が多く、違和感もあまり感じることはありません。

だからかなりの割り切りを持って、共に賛同して動ける部分では一緒に活動していますが、それでも時折起こるその方々の信じられない言説支持には、賛同しないし勿論活動は共にはしないと決めていること、そして時にはそのことも周りに表明していますが、やりきれなくなることも事実。

 

なぜならば、流れてくるそうした言説の元は、明らかに先導している人物にかなりの問題が見られるケースであることが主な共通であったりするからです。

 

最近の例では、WHOが勧めようとしている「パンデミック条約」についての反対や、最近行われたという反対でも活動について話題に出ることがあり、

これらが報道に出されないことが残念だと言われました。

こうした動きが民主主義を求める流れのためでもあると言うような意図の意見も。

しかし、これらのデモの様子を見ると、これまでと同様な荒唐無稽な陰謀論的な言説、そして支持しているという人の、普段戦争を良くは思わない側から見ると真逆である右よりな主張もしているようですよ。

note.com(呼びかけ人のつながりの流れについても書かれていて、反LGBT統一教会賛同寄りなどの傾向も見られる。)

 

そして、7月の都知事選挙。私も小池さんにはなって欲しくはなかった。

この時様々な人が立候補となったのですが、その中に反医療、そして発達障害関連でも問題のある言説をして非難を受けているある医師が立候補していて、一定の支持があったようで、それに対して憂える気持で見ています。

agrifact.jpこの動きに関しては、間宮さんのこの記事が1番的確に書いていると思います。

 

U「医師」の発達障害は作られた説は実際に関わっている医師や家族、当事者にとってあまりにも失礼な内容です。薬漬けの診療を行っているところは殆ど無く、あれば問題となります。診断も確たる世界的な基準があるのです=でもこれもU氏に言わせれば「陰謀」というのでしょう(呆れますが)。

正しい情報にアクセスできる条件はあるので、どうか他のアクセスを当たってください。

 

コロナワクチンに関して、あまり良く思わない人も多い中でこの方や一連の主張をする人を信じる人も多いようです。

コロナワクチンは副反応が出るケースも確かにあり、残念ながら亡くなりになってしまうケースもあり、100%リスクがないとは言えないようです。一方で接種によって感染重症化を防いでいる面もあります。

コロナに罹患した人の中にはコロナは決してただの風邪では無い大変な感染症だとの話も聞いており、中には深刻な後遺症に悩む方も見えます。

リスクとベネフィットの兼ね合いでの判断という、選択になるワクチンなのでしょう。

だから打たない選択があっても良いと思います。

しかし忌避の理由を明らかに疑いのある言説、あまりにも奇異に振り切れた情報を持ち出すのは何故なのでしょう?

そしてワクチン全てが悪という考えは全く賛同出来ない。

中には副反応どころでは済まない狂犬病という恐ろしい存在もあるのだから。

 

そして今回のデモが、その主張や内容を精査すれば、脈絡が無かったり、本来市民が求めている多様な社会や人に優しい暮らしなど、市民に寄り添ったものを目指すものとは思えない差別的、戦前的な主張もあることが分かり、そんなものを持ち上げてしまうのは理解に大変苦しんでしまうのです。

 

市民のための暮らしや幸せを求める、本来の民主主義を目指す、という願いのはずの活動が、何故このようなデマや陰謀論に靡く様に化けてしまうのか。

このデモを民主主義の象徴と見なすことには強烈な違和感しか私には感じない。

 

市民活動とは安易にそうした動きに乗ったり親和性をもったりするものなのでしょうか。皆が望む平和やジェンダーのフリー、差別の無い世界に相反する主張をする動きに反ワクチンだからと言って何故安易に持ち上げるのでしょうか?

 

根底には圧倒的な行政不信があり、勿論それを生み出している行政側にも責任があると思います。しかしそうだと言って安易な陰謀論に乗ったり展開して良いはずが無い。それらは本来解決したかったはずの物事への解決には結びつかないのではないでしょうか。謝った見方は本質を見失います。

 

問題としている物事への周囲への理解を深めるのは陰謀論では無くて、文字通りの丁寧な議論や対象事への検証、そして価値などを伝えていく努力のはずです。そろそろそれをしないとそれこそ陰謀論者じゃ無いけれど「取り返しの付かないこと」になってしまうのに。

根底の積み重ねがあまりにも少ないと感じるのも禁じ得なかったりしています。

 

どうか振り返り、問い直すことをして欲しいのです。