なかなかこのテーマに入り込めずにいました・・・。
近年、各地で樹木の伐採が相次いでいます。都市公園で、そして私が住んでいる片田舎の場所でも、一定の大きさの樹木がある日突然、伐採されてしまうことが起こっています。
理由としては、老木で倒木の危険が高いというやむを得ない物から、落ち葉や落ちてくる実が庭に入って迷惑だからとか、頭上を枝を覆って迷惑だからと言うものもあって、伐採以外の回避方法がないものかというケースまでと様々です。
そして最近問題視されている都市公園の再開発と民間企業運営による、それまでの都市公園の価値を軽視するあり方とそれに伴う樹木伐採・・・。
以前、「建築ジャーナル」という雑誌で以下の特集記事があったので購入・読んでいます。そこに紹介されていたのが今回の本。
morigaiisutekisizen.hatenablog.com
そしてようやくこの本を読み終える事が出来ました。
「街路樹は問いかける~温暖化に負けない<緑>のインフラ」
藤井英二郎、海老澤清也、當内匡、水眞洋子著
岩波書店(2021年)
この頃の思い、そして以下を読んでの感想です。
まるで邪魔者扱い
冒頭にも述べたとおり、豊橋周辺のこの地域でも、様々な理由で樹木の伐採が相次いでいます。本当にその方法が最適な場合もあると思いますが、近年地域での様子を見ると、実際に倒木の恐れが無さそうであったり、枝が特に邪魔しているわけでもない箇所までもが徹底的に伐られている感じを拭えません。まるで樹木は邪魔者、目の敵にされているかのようです。
今年の秋は地域によってはツキノワグマが市街地にまで侵出しているようで、皮肉にも屋敷林や川の藪地が隠れ場所になってしまっている面も出ている様で、そこの線引きは頭を悩ませる物なのかもしれませんが、現在の所豊橋はそのような状態では無いのでこの点の懸念は不要でしょう。
公園各地で現在、危険木の伐採が計画・実施されていますが、その後の緑地での樹木の植樹や今ある樹の維持の仕方と言った将来的な方向性が見てきてはいません。
都市ばかりでは無く、片田舎の地でも同様で、今まであった林が突如失われて呆然とすることもあります。
世界はグリーンインフラ、生物多様性を維持して環境を増やす、そして温暖化対策のための緑の維持などに向かっている中、日本ではこの方向性への道が見える兆しが見えてこない現状です。
そして一般市民の樹木に対しての関心は、薄いとも言える。
あなたの身の回りにはどんな樹木があるでしょうか?そしてその樹の名前は何でしょう?
豊橋でも多くの人が身の回りの自生している樹の名前は知らず、その特徴などについては知らないものと思います。観察会でも草花・鳥・昆虫には注目が集まりやすいですが、樹木については今一つ認知度が高くは無いのではと思います。
林や森を構成する樹木があることで、鳥や昆虫、様々な生きものが生息出来るのですが、その観点で樹木を見ると言うことが少ないのではないのでしょうか?いや、私も充分だとは言えませんが。
海外の街路樹管理の違い
本書でも日本における街路樹管理のあり方に憂える文章が何カ所かで見られます。そして日本人の街路樹への関心の低さや、枝の強剪定(切り詰め)されることで、健康的では無い樹木になってしまう(倒れやすい)ことが指摘されています。
そして近年の温暖化やヒートアイランドによる熱中症の人が増えている今、それらを緩和してくれて、気候を調節する役割を持つ街路樹の置かれている状況を改善しなければ、とあります。
海外では、気候を和らげるために、街路樹が充分に樹冠を伸ばして大きく育てるような取り組みが行われているのだそうです。枝の剪定方法も、日本のように出た枝をやたらに切り詰めるのではなくて、丈夫で主要となるような枝を選んで育てるために、競合する枝のみを伐る方法を取っているとのことです。
「樹冠被覆率」を上げて気候変動に備える街作りへ、そして大木はともすると倒木の恐れがあるのですが、そうなりにくい丈夫な樹に育てていくための管理方法があるとのことに、日本との根本的な違いを感じています。
市民に身近な街路樹
街路樹の管理方法も海外では専門の職員さんが配置されている他、街路樹の調査などには市民も関わっていることや、各地域の街路樹がどのような恩恵を人々に与えているかについて貨幣換算して知らせていたり、管理も日本のように一律ではなく、樹木の1本1本毎に調査して必要な管理を都度行っている仕組みがあるようです。
生きものなのですから本来はそうであるはず、と考えれば頷けることですね。
落ち葉の問題は海外でもあるそうですが、ドイツでは、市街地では税金が徴収された場所では市の部署が清掃を行うという合理的な方法を取っているようです。
そういえば・・・。
2015年9月13日 豊橋公園内美術博物館隣にかつてあったエノキの大木。
以前豊橋公園の美術博物館横にあったエノキに木の洞が出来、救済できるかどうか、複数の樹木医の方が見えて診断を行い、不可避と判断したことでやむなく伐採した事があり、そのことが新聞記事にもなったのを思い出しました。以前はそのように1本の樹木に対しても細やかな対策が出来ていた、はずなのに最近はその様子は見受けられないのが残念です。8年前の出来事からさえ、今は変わってしまったと感じています。
樹木の市民権を日本にも!!
本書では、フランスでの3都市(パリ、ナント、リヨン)の取り組みについても紹介されていて、「樹木憲章」なるものも作られているそうです。「緑化政策に法的根拠を持たせ、住民の都市樹木への意識を変える狙い」そして、樹木の政策に住民との合意や理解を繁栄させること、特に新鮮だったのが「樹木の市民権」獲得!!
読んだ瞬間、「これだ~!!」と心の中で叫んでしまいました。
そうなんです、一本一本の樹木に対する理解と、その樹木の権利、逆に今の日本や豊橋市などに全く足りていない事なのでは無いのか、と思います。
勿論、倒木しそうな樹木を伐採するな、とは言わないですが、そうしなくても他に良い方法があるならば、その方法を探って欲しいし、樹木が見えない形で果たしている生物多様性の維持やヒートアイランドの緩和、そして訪れる人々の心の安らぎや心の健康維持についてもっともっと知った上で、尊敬を込めて維持・管理するあり方に日本もなって欲しい。それこそがグリーンインフラで、樹木の価値を認めて経済活動に繋げる仕組みや樹木と親しむ余暇やリクリエーションを高めること、むやみなアスファルトジャングルになるような開発とは一選を画した街作りに繋げていけるのではないかと思うのです。
*しかし、「市民権」という言葉を久し振りに見た気がする・・・。思えば、豊橋に来て以来、「市民権」という言葉自体を使われているのを見聞きした経験が無いように思うのですが。
豊橋、の名が登場!!
アリーナ問題のこともあって、そして環境政策の矛盾もあって、豊橋のことはどうしても良くは言えないので心苦しいけれど、実は豊橋市は、著者のお一人藤井英二郎さんや本書の4章「日本の街路樹はなぜ「寂しい」のか」を書かれた海老澤清也さんが触れているように、かつては街路樹政策の最先端都市だったのです!!
アリーナ問題で知った方からもそのことを見聞きしていたのですが、何と本書のこの4章で豊橋市の名が出て、そしてその街路樹事業に関わったMさん、そして後に市長になられた青木茂さんの名があります。
当時(1960年代)樹木の弱剪定と、自然樹形仕立て、に移行、そして「人命を守りつつ、いかに緑を育てるか」という姿勢の元での行政政策がなされてきた様です。
60年前の豊橋市のその精神に驚きを感じると共に、今現在のその精神の微塵も感じられない市政の有様を思うと、何とも言えないものを感じます。
どうか過去の先例を振り返り、衰退してしまった街路樹政策を環境政策の柱に入れていくなどの変革を行うべきでは無いでしょうか?青木市長の頃の政策は、正に今求められている中身であるはずです。
*勿論今のアリーナ計画は見直しで!!
今後
自然観察や調査、そして普及などの活動は未だ非日常か余暇的な範囲を脱していない感がありますが、本来は身近な各地域の森林や樹木の役割をも含めた様々な生態系を都市の発展と共に維持・そして向上しながら市民の暮らしの中に根付かせていくためのプロセスであるべきではないかとも感じています。
樹木や街路樹のあり方について、もっと詳しく、具体的に、行政と市民が向き合って維持管理、そして存続に向けた取り組みを行っていって欲しい、本書はそれを知るための手がかりの1冊になるのでは無いかと思います。
樹木や生きものの市民権、まだまだ足りないです。豊橋市足りない。芸人頼みやキッチンカーメニューフード写真ばかりをアピールした無意味な環境イベントではなく、もっと芯のある環境政策に行政も市民も取り組んで欲しいと思っています(環境イベントにブース出展した高校生達の活動は応援していますが、全般の内容が何をしたいのか見えない内容となってしまっているのが返す返す残念です)。