もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

二つの世界の行き来から思う事。

*今回結構率直なことを書いているので、各人によっては気に障る箇所があることをご了承願います。本心なので。

ちょっと今日思ったことを書いてみます。

結論から言って私はやっぱり異端児だね。この保守的な市域の中でのある分野では特に。

 

私は2つの世界を行き来しているんだと今日も実感する。自然観察や自然生態系などを主に見ている世界の端と、

市民活動の世界の端辺り、

この二つの世界を行き来している感じというか実際そうなんだけれど。

何回か書いているかも知れないけれど、時折この狭間の中で煩悶したりしている。

 

どちらの世界にもある程度それぞれの世界に理解ある人もいるけれど、多くは無い。もう少しこのあたりの分断というのかがなくなると良いのにな・・・。

 

特に自然専門分野の界隈で、市民活動に関わる部分の話が途端にタブーな雰囲気になるのは何度も経験しているし、この地域はより強いのだと思う。

昔関わった人がこの点で苦労したと思う。今振り返ると色々他も含めて大変だったんだなぁ、と実感している。

 

今思う事としては、勿論市民活動全体を蔑視などはしてはいけないと思う事。

 

何故なら、

 

どんなに自然界の知識があって政策に専門的な助言ができても、実施の前にそれを超える政治的な背景や力が出てしまうんだよなぁ。

どんなにデータを取っても(勿論データは大切で、そのデータを取る、取り続けると言うことも実は労力が大きくて、その実施や維持には課題があると感じている)、意見や具体策述べても(勿論沈黙してしまうのが1番良くない)、

行政の長の理解が無かったり、自然よりもハコモノ作ることに意欲があり、それを推す議員などが多い限り、環境保全に予算は割かれないし、段々生態系は縮小されてしまう結果になってしまったり、政策ひっくり返されたりしてしまうんだよ。

豊橋が実質のネイチャーポジティブに切り替わったなら話が変わってくるかな?

 

だから色んな動きがあるけれど、そしてあって良いけれど、そのことには自然屋さんは

腫れ物扱いであったり触れなかったりしてしまう。そのことには大いなる理不尽さを感じている。

せめて「ご苦労様」とかの声かけだけでも大分違うのではと思う。

 

活動家=過激な人、と言うイメージも根強い。それが敬遠される要因にもなる。

残念なことに実際最近海外で環境保護を訴えながら抗議活動として、関連のない絵画や遺跡にスプレーかけてしまう活動家さんもいるようで、それには賛同出来ないし、地道な下積の動きよりもパレードしかなかったりする動きもどうかな、とも思ったりもする。

また活動側のどうかすると陰謀論との親和性が高いところには馴染めないというのがありり私は絶対駄目、の立場です。なんで荒唐無稽な主張に靡くのかな、と。

そのことには時に申し訳ないけど失望感も味わっている。

 

さて、自然観環境や観察などの動きと、市民活動(やむなくせざるを得ないので、本当はしないでも良い状況であって欲しいから)、

両方の世界で色々頑張ろうとするとしんどいと思う事も良くある。

エネルギーのかけ方が違うのを感じます。関わる人の層も違ってくる。時に倍かかってしまうし(苦笑)。

 

基本本来はただただ自然の中に出かけたり生きもの見て喜んだり絵を描きたい人です。

 

瀬戸で関わって思ったのは、自分はパレードとかシンポジウムとかで色々アピールするなどの方ではなくて、足下からの自然を見ていく事をしたいなぁ、ということでした。

でも、それぞれの世界にも色んな方がいて、尊敬する出会いもあります。どちらが良くて悪い、では本来ないはず。

そして、

片方側だけの世界しか「見ない」のはやはり視野が狭くなってしまうのも感じます。なので色んな見方や視野は持っていたいと今後も思います。

時に色々手を付けている「怪しい人」と見られるのかもですが。

異端児上等!でいきましょうか。

 

とはいえ7月、ちょっとペースダウンはします。6日までは頑張る。

後はまた出来るときに協力をになると思います。

野山も出かけなきゃ。

身一つでキャパも限度があるし、スーパーマンでもサイヤ人でもないから自分なりの歩で行きます。