もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

華麗なる組織病

「組織病」とは・・・。

検索してみたらこういう名の医学上の病気があるのに驚きました・・・。

そうではなくて、

これは20年ほど前にお世話になった方が、活動体が組織になったがゆえに起こってくる活動上の様々な弊害が起こることについてこう呼んでいたのでした。

その方はあまり「組織」は好きではなかったと思います。

 

私は、個人活動であれ、小さなサークルかグループ活動であれ、ある程度の団体であれ、活動が健全で本当に活気があるならそれはそれで良いと思います。

 

しかし、、活動体が「組織病」になっちゃうとどういった「症例」になるのでしょうか?

ある程度団体が大きくなって、役員とか理事の役割が出来てきて、規約なんかもできてくる=組織化、ですね。

しかし基本はボランティアでの活動。

ですが、活動が大きくなってそれに伴い人を動かさないといけなくなり、その結果、

・活動に強制を会員にある程度強いるようになってくる。時に役のある人が命令までする。

・その割りには動いた人への感謝とかの言葉や気持ちは乏しくなる(敬えと言っているのではなくて「今日はお疲れさま~♪」「ありがとうね~♪」と言った和やかなねぎらいが無い)。

・組織にいる人の自発的な活動が少ない。仕方なくやっている感の方が強くなる。

・意見をオープンに延べ、違う意見も交えつつ、しかし言い争いではなく「こうしたらいいのじゃないかな」と話し合うことが無い。沈黙(そのくせ影で最もらしく非難するという当事者のいない場での欠席裁判があるのは最悪である)。

・成果を出す形にしたいがために無理をしたり誇大宣伝になる。活動の形骸化。

とまあ、色々あり、中にいると「とても肩が凝る」感じがするようになってしまうのですが、一番の症例は、

「本来目指すはずの活動目的から逸脱すること」

と言えることでしょう・・・。

好きなもののための活動、それを広めるための活動で、緩やかに協力していくための活動が、人を動かすこととか、肩書きとか、体制とかの方にウエイトを置くようになってしまう。

勿論ボランティアで人は大事で、疎かにしては行けないけれど、おのおのの自由意思や自発性が肝心なのに。

重篤な「組織病」は、中の人の個を殺しもします・・・。

 

これらはなかなか外から見ただけでは分からないものですね。

また、内側にいても、そこだけの世界しかいなければ、そこの良い面もですが、悪い面も歪な面も気がつかずにいてしまいます。

色んな活動に2つ以上(そんなに沢山でなくて良いです;)参加してみて、それぞれの違いを感じてみると良いと思います。

こちらでは常識でも、向こうではそうではない、は結構あるあるです。

その上で、その活動体が合っている、または良いと思っているなら納得の上参加できますね。

 

ボランティアをすること=組織の上の立場の人の奴隷になること、ではありません。そこはしっかり認識しておきたいですね。

と書いて気がつきましたが、組織病の最も重篤な症例のもうひとつが、そうか、、

「奴隷化」か・・・。

 一見会員の意見総意の元で行う体を取りつつ、実際は一般会員の殆どは無気力化の中、限られた実際に取り仕切る者の意のままになるシステムになってしまうこと・・・だ。

だから実際の意見の場ではサイレントなまま、仕切る者の影の声に牛耳られていく形になっていくわけだ。

本来の目的に進むのではなく、仕切る者の顔色をうかがうのはもはや健全ではない。

(私はこうしたことに振り回されていたんだ、ようやく気づいた。)

 

これは自然関係に限らず、福祉関連など他団体でも、かかりやすい症例だと言っておきます。私は巻き込まれていないけれど、奴隷化が進んだ別の所も見ているのですしね。

(悲しいかな、ここの地域は奴隷化のまま進みやすいのかも知れない、これが尾張名古屋なら喧嘩が勃発するのだろうな;)

 

*ここしばし、こうした書き込みを読む羽目になってしまった訪れた方、済みません。

こうした出来事があると言うことを横目で見つつ、様々な関わりの中でご自身の立ち位置を決めていただければ、と思います。こういったことを書くのもそろそろ区切り着けないといけないね。