もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

ギャップと異端児だと意識させられたり。

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私が自然のことに関心を寄せることになったベースというのに、小さかった頃から地球環境への心配や野生動物の危機などに関心が高かったというのがあると思います。

子どもの頃「野生の王国」と言う番組を家族と良く見ていて、この番組の影響も大きかったんじゃないかな。

また、自然のことが好きで、当時は景色を眺めてぼ~~っと楽しむことが好きだったりしました。

やがて野鳥に興味を持ち、そして海上の森での観察会参加となり、そのことは、前の記事で書いたとおり。

その時の感覚には、生き物を大事にしたい、自然は守りたい、自然と生き物のことを大切に思う気持ちと、自らの感性で自然の中に親しむ、という所があり、勿論なるべく正しい知識も持ちながら見ていくと言った感じでした。

 

恐らく当時の観察会の理念はあの頃のあの地域周りでもとても強いメッセージみたいなのがあり、しかし他所は尾張・名古屋圏でもそれほどではないところはあったかな、と思います。

やがて、東三河豊橋に来ることになって、今までの観察会の中でごく普通に感じていた感覚や感性そのままにこの地で発信しようとしたら、こちらでの感覚とのギャップの差をまざまざと感じることになったのでした。

こちらは、或る程度の自然は身の回りに結構あったりするので、向こうの尾張や名古屋の人が感じるような感激さは感じないのかな??

「わぁ~可愛いね~。」「綺麗だね~!!」「素敵!」「こんなのは悲しい」といった表現をストレートに表することがこの地域では出来にくい・・・。

また自然を守りたい、という意識も特別な場所以外では希薄さも禁じ得ないところがありました。

でもすべての人がそうだというわけでもなく、心配している人も勿論います。

 

また、ここに来た頃、元いた場所は内部崩壊という時期(分裂)に入ってしまい、元のような関係は当事者でなくても戻れなくなってしまっていたのが今も悲しいと思う。

(その後も第2次内部崩壊があって離れることになりました。)

 

どうも(すべての人ではないけど→ここは繰り返します!)、こちらでは、珍しいもの、コレクション的な事、所謂トリビア的な知的要求には関心があるけれど、身の回りの生き物の心配などの話題になると空気が変わってしまうのを感じる・・・。

 

このギャップにより、時に自分は異端児なんだな~、と思ったりします。

ちょっと寂しいとも・・・。