もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

改めて「雨ニモマケズ」について。

色々な出来事があって、進んでいたことが停まってしまったり、ようやく動いたり。

今日はやっと家の掃除が出来ました(爆);

ブログの更新フィールド分、今また停滞です;でもまた動こう。

 

書こうと思っていた宮沢賢治さんの有名な詩の一つ、

雨ニモマケズ」について。

昨日再読完了した高木仁三朗さんの本で、これ以上はない、と言うくらい的を射た内容があったので、私なんぞがここで書く幕などないのですがね;

 

人によってはこの「詩」は優等生みたいでつまらないと思う向きもあることでしょう、高木さんも最初はそう思っていたそうです。

「文句も言わず、辛抱強く丈夫で良い子でいてね」と大人が子どもに説教するときに使ってしまいそうな? 

正確には、これは「詩」ではないのです。

賢治さんの作品には、生前未発表のものも数多くありましたが、こちらは多分原稿として書いて世に出そう、と意図した物でもないです。

この「雨ニモマケズ」が発見されたのは、賢治さんの死後、偲ぶ集まりのようなものが行われたとき、弟の清六さんが持参した賢治さんのトランクの中から見つかった手帳に書かれていたのを見つけたことからでした。

その手帳の写真が載っているのがこの本。別冊太陽「宮沢賢治 銀河鉄道の夜平凡社1985年

(他の関連本でも載っていますし、ネットでも検索すれば出てくると思います)

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多分学生の頃買ったもの

(買ってしばらくは読めなくて、、豊橋に住んでからようやく読んだけれど、なんだか難解な解説で期待の割りにはな面もありました;)

 

 手帳に書かれた本詩は頁一杯に大きめの字で書かれていて、詩が終わったあとに「南無妙法蓮華経」と読経がこれまた頁一杯に書かれている写真があって気迫がこもっているようでした。賢治さんは法華経の信者でした。

これを書いたのが、羅須地人協会が上手くいかず、そして病に倒れた中、色んな事が叶わない状況下だったことが分かると、なんとも切ない、しかし詩に込めた願いに凄絶なものを感じてしまいます。

そう、これは賢治さんが自分に向けて書いたものだと言えるのです。誰に見せるためでもなく。

 

高校教師を退職して、凶作に苦しむ農家の人のためになりたいと、羅須地人協会という集まれる場を作って、自身も自給自足生活を始め、農家の方に音楽とか芸術を学ぶ場、そして肥料設計を行うなどの試みを始めたのですが、、

元は質屋もしていた裕福な家の出と言うことや、教師という待遇の良い給料を得ていた賢治さんがするそれらを「金持ちの道楽」という反発的な目でしか農家側からは見られなかったり、労力を提供する共同作業の場に出てこない事への反感とか(お金は出したそうですが)、歓迎されない向きが多かったようです。

そして、体が決して丈夫でない賢治さんは自身に過労を強いたこともあって病に倒れてしまった・・・。

(詩の中にも、農家の人からそんな体では農業は出来ないといわれたとあったりするし、物語などでも丈夫な体への願望が伺える文があったりします。)

しかし、そんな中でもかつての教え子や、若い農家さんからは肥料の相談があったりする面もあり、失敗ばかりではなかった面もあったのですが、病さえなければ。

 

農家の人と上手く関係を築けなかった賢治さん側の面もあれど、排他的であった農家側の側面もあって難しかったのでしょうね。

これが現代なら、新しいチャレンジを農業でも試みている中、上手く行ったのかも知れません。

 

そんな中なのに、それでも「ジブンヲカンジョウニイレズに」とあり、「ホメラレモセズ、クニモサレズ」と書いてあるなんて。

本当ならもっと愚痴とか書いてもいいのにね。

「俺だって不十分なりに一生懸命やっているのに(農家の冷遇に)それはないじゃないか~」とか。実際にはそう思ったのにも違いありません、他の詩で葛藤している様子のものがあったりもするので。

上手くいかないながらもどうか人の役に立ちたい、という願いの方が強かったと言うことなのでしょう。そんな人間でありたいと。

実際、晩年、病をおしてまで、肥料の相談に来た農家さんの相手をして家族の方が気が気ではなかったという話もあります。

その状況を知ってこの「雨ニモマケズ」を読むと、優等生的だのなんだのなんて次元とは全く違うものを感じるのではないでしょうか。切なく、凄絶で、でも他の方が評したような絶望、とも違うような。

言うなら「やむにやまれぬ」願い、なのかな。

 

ネットが発展した現代、昔の紙の原稿を出版社に送るのとは違い、時に紙面に載らずとも、自身のブログやSNS,そしてnoteという媒体を使って多分自分の書いた分を発信できるようになりました。今の作家業の方の中にはこれらを駆使している人も見えることでしょう。

現代の世に賢治さんがこれらを駆使できたとして、「雨ニモマケズ」も電子媒体に書いたのでしょうか?スマホで?

あったとしても「鍵付き日記」だったかも知れませんね。

後に家族の誰かがパスワード解読した、みたいな感じで判明、みたいな。

(済みませんなんだか馬鹿なことを書いている気がする;)

 

余談ですが、別冊太陽の裏表紙・・・。

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当時のレストランの広告。時代をなんか感じる・・・。

宮沢賢治記念館では「雨ニモマケズ手帳」なるものが売っているそうな。実際の手帳のレプリカという感じかな。