今日のモヤモヤや、普段の思っていることなどについて、前にも読んだことのある、この本の中に答えがあることがわかりました。
このところの自身の活動(お金にはならない)の事についてやはりちょっと考えたりしているのですが。
やはり、自然や環境の世界に触れて、関わろうと自発的に思い関わって、楽しみながらやってきていたつもりだけれど、たいしたことではないけれど、最初は前向き全開でも、時が経てばやはり葛藤や挫けそうにはなるものなんですね。でもそれは悪い事じゃない・・・。
誰でも、どんな人でも、続けていけばそんな時はきっと来る。
全ての人が分かってくれるわけではないし、時には足の引っ張りや中傷、つまらない言いがかりもあるし裏切りや対立も生まれる。
それを通ってなおもどう続けていくのだろう、、ということで。
活動のきっかけを呼びかけるのには、この部分はあまり言うのはタブーだとはしても。
(だから最初からこれを話さない方が良いだろうね)
その葛藤の中での擦り合わせで出会う賢治作品から見いだしたメッセージについて書かれています。
この書の中で、エコロジーとは「人以外の生きものと共に生きる」、そして科学は「特別な人のためのものでない、普通の人たちのためにある」等。
自然観察も、環境運動も、人と他の生き物たちと共により良く生きるため、だったのではない?それが自然の知識は語られても、「共に生きる」ことからは離れてしまい、環境運動も人だけの視点でしか語られない、、。
高木さんが当初の原子力を推進する研究所や大学を出た思いは良くわかる気がします。何のためにやっているのか考えなくなる、ということ、ここにいたのでは駄目だ、と言う気持ち。私もあの場所抜けたのはそれに近い理由があったから。
「宮沢賢治をめぐる冒険」最初の部分は、そうなの?という感じがやはりあり、高木さんなりの賢治世界の解釈なんだろう、と思い読んでいましたが、中盤当たりから強く共感できます。賢治さんについての本で一番好きな書です、やはり。。
「詩(正確には手帳に残されたメモ)」「雨ニモマケズ」に関しても同感!
*この書でも触れている「水の世界」がまた危機にさらされようとしています。故高木さんの願い空しく、福島原発で生じた汚染水放出を政府が決定してしまいました。