もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

賢治さんの思うところの「本当の幸い」とは? 1

前の記事で書いた「自己犠牲」から「本当の幸い」までについて。

 

まず、前振り的な話題から。

昔人気絶賛を博したこともある某SFアニメで「自己犠牲」は良くテーマに上げられていましたね。当時のプロデューサーさんがこれを扱うのが好きだったのかな?

第2弾映画で主役がそれでラストを遂げてしまい、テレビ晩では死なせないでとの声や、もう一人の原作者とされた漫画家の希望もあって無事生きたままエンドとなる展開になったわけですが、

その後人気にあやかってシリーズがどんどん出たはいいけど、そのたびに主要なキャラクターが(主役ではなく)どんどん何かで突撃死とか自爆とかで「自己犠牲」していってそれが続き「またか・・・。」という気持ちになったのを覚えています。

「何人殺すんだ~」とか言ってなかったっけ?ファンの中で。

やがてアンチになる人も出てきたりして、作品の魅力が褪せていってしまったようにも思います。完結編まで見たけれど、あまり印象に残らなくなってしまった・・・。

「こう演出すれば感動するだろう」「ファンは泣くだろう」みたいな安直さが段々見えてきてしまって。

*最近現代版にリニューアルしたシリーズで出ていますが、最初のをテレビで見たきり後は見ていない、、どんな展開になっているのかな?

 

さて、

自己犠牲の精神は各宗教の中に含まれていることが多く、キリスト教もそうであるし、仏教でもお釈迦様が餓えた虎の親子に自らの身体を差し出した絵があったりします。

賢治さんが信心していた法華経もその精神があるようで、利他のために働く、ということが教えにあるようです。

 

さて、

11年前に私は初めて岩手県を訪れ、西和賀町で前から通信のやりとりなどをしているSさんご夫妻にその時とてもお世話になったのでした。

その後、ご夫妻の知り合いでもある澤口たまみさんの著作本を2冊、贈っていただいたのでした。1冊はすぐ読んだのですが、もう1冊のこちらの「親子で読みたい宮沢賢治」はなかなか読めずに時が経ってしまいましたが、今年ようやく完読できたのでした。

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ようやく完読したのでした。

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何とサインまで書いていただいたのでした。

Sさんがきっと「この方へ贈るのでサイン書いて」とお願いしたのですね。

ありがとうございます!

読む前に久々に賢治作品を読み終えた後なので、澤口さんによる賢治作品の紹介のこの本、あっという間に読めました。

ピックアップしたいくつかの賢治さんの物語を、要約文にして(長いお話しをここまで簡潔に要約できたのは凄い)、あらすじを紹介、その後に作品の解説とお子さんに作品のどんな意味を伝えたらいいのかをたまみさんなりに語るという内容です。

 

メジャーどころの「銀河鉄道の夜」や「セロ弾きのゴーシュ」「注文の多い料理店」は勿論のことですが、「氷河鼠の毛皮」や「フランドン農学校の豚」を持ってくる当たりは流石です。

 

さて、読む前に、実はこの本のレビューをちょっと見る機会があったのですが、

よだかの星」の解説でたまみさんがお話しが好きではないらしい、こう書くことについてそれはどうなのか、というのがあったのでした。

(レビューは読んだ人のあくまでも率直な感想なのですよね。作者さん的には凹むかも知れないけれど、賛同ではない感想も勿論書くのは有りです。)

そして、いざ、本書を読んで、思ったのですが、これは、こう書かざるを得なかったんじゃないのかなぁ、と私は思ったのです。

お話しを読んだことがあるなら分かると思いますが、よだかは醜くてしかも多くの虫を殺して食べている自分を嘆いて、夜空に飛び立ち燃える星となって生涯を終えたのでした。

生きる者の悲しみや業のようなものを書いた物語なのですが、

ともすれば「自殺願望」と取られかねないお話しでもあり、思春期の不安定な年代に伝えることに悩んだのかも知れませんね。

同じようなメッセージは「銀河鉄道の夜」での蠍のエピソードでも出てきます。

(昨日の劇では蠍の火とその物語はカットされていましたね;)

 

賢治作品にはこのような物語が所々あります。

 

グスコーブドリの伝記」も然り。

他者の幸せのために自らを犠牲にするお話しですね。

切なくて、私もこれはあんまりじゃ~、と思ってしまうのが、

「光の素足」と「二十六夜

何のおとがめもない幼い子どもやふくろうの子が、誰かの幸せのためとかではなく、不条理に吹雪やいたずらな子どもによって命を奪われてしまうお話しは、、たまみさんでなくても納得できません(涙;)

 

ところで、

 

この他者のために自らを捧げる、ということ、

これは命を投げ出すこと、ばかりではないですね。

むしろそれを進めてしまうのはやはり怖いことだと思ってしまう。

これを強要してしまう世界は危険ですらあります。あの戦争時がそうだったように。

自分の命は勿論大事にしなければ。他者の命もそうであるように。

だから文章の制約的な面もあったかも知れないけれど言葉足らずになったかもしれないけれど、たまみさんがそう書いたことには、私は納得できるかな、と思います。

 

長くなったので、2へ続く。