2日くらい前に、詩集を読み終えました!
学生の頃や、社会人の頃も読んでいたようだ、な宮沢賢治さんの作品の数々。
しばらくぶりの出会いに、ああ、そうだった、これもそうそう、と思い出したお話しや詩の数々がありました。
本はこれまでも沢山読んでいたのに、何故しばらく読まずに来てしまったかというと、
自然観察会に入り出した頃は、自然関係の本ばかり読んでいたのと、息子が生まれてからは、その関連の本を読むのに夢中だったこともあったっからだとも思います。
最近読み始めた頃にここで書いたように、自然観察で植物や鳥などを知るようになってから読むことで、より物語の世界を詳しく知ることができたように思います。
ただ、、地質は苦手な私;賢治さんの物語や詩には、鉱物や地質に関する記載も数々あって、それが分かるとより面白いのかも知れませんね。
(石っこだった賢治さん、東三河や飛騨市神岡町に来ることがあったら、きっと楽しかっただろうに。)
また、科学の知識もあったなら、内容がより分かったのかも・・・。
特に詩などは科学用語も出てくるので・・・。
とはいえ、それでも感じたままに作品は読んでいければいいのかな、と思っています。
物語で好きなのは、
一番はやはり、「銀河鉄道の夜」ですね。
未完でありながらも、これまでの作品の数々のテーマの集結みたいな作品であり、賢治の真の幸いを願う気持ちが正に透き通った結晶となった作品だと思うのです。
他には、
「ポラーノの広場」
「双子の星」
「オッペルと象」
「雪渡り」
「どんぐりと山猫」
「猫の事務所」
「水仙月の四日」
「注文の多い料理店」
あたりかな・・・。いえいえ、まだまだありますが。
「どんぐりと山猫」は、小学校で劇をやったことを覚えています。
改めて作品読んで、物語り、テイストが多岐にわたっているのが面白い。自然界の生き物を楽しみのためなどで狩りをしたりする人間に対しての動物たちのしっぺ返しなお話しとして、「注文の多い料理店」のほかに「氷河鼠の毛皮」もあります。
またちょっとスリルのあるコミカルな「税務署長の冒険」とか。
そして仏教は法華経を信心していた賢治さんならではの、仏の教えがテーマの作品もあります。そして人の世のために自らを投げ出す自己犠牲的なお話しや、生まれながらに背負う罪とその救済的なお話しもあります。
その中には切なく悲しい「光の素足」や「二十六夜」が。
どちらも罪など現世には侵していない小さな子や、まじめなふくろうの子どもが釈迦の元に行ってしまう物語。
自己犠牲的な物語で有名なのは「よだかの星」ですね。
恐らく子どもの頃はこれらのお話しも素直に読んでいた気がしますが、今は或る程度俗世にまみれて汚れた大人になったからか、「そこまでしなくてもいいのに、」と思ってしまいます。
賢治さんは独特のオノマトペを生み出したことでも話題になっていますよ。
私が好きなのは、
「ガーンドロドロドロドロ、ノンノンノンノン」です。さて何でしょう?
正解は、火山の噴火音。これなら怖くない?
「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」からでした。
私がブログなどで何気に書いている言い回しは、思えば多分に賢治さんの文の影響も受けているかも、です。
最近、雑誌「Pen」で特集として「泣ける絵本」があって、図書館でその号のバックナンバーを借りて読んだのですが、その中に「フランドン農学校の豚」があって驚いた。
あれを絵本にしたのか~、と。
そして挿絵紹介の部分を見て、即座に「あれはあの場面だ;(物語りラスト部分の)」と再読前に分かったのでした。
こちらの物語も読みましたよ。衝撃な、考えさせられるお話し。
これに関連してですが、最近はベジ食やマクロビ、ヴィーガン食の人もいますが、賢治さんの場合は動物を食べるのがかあいそうだったからなのでしょうか、やはり菜食主義だったようで「ビジテリアン大祭」という作品も書いています。
語り出すと止まらない(笑)。
よだか=ヨタカ、最近はすっかり少なくなってしまったらしく心配しています。
そして「鹿踊りのはじまり」で、白い手ぬぐいを「なじょだだ、なじょだだ」と不思議がっていた鹿たちは、今やどっさり増えてしまったらしい・・・。
賢治さんの頃は冷害とひでりに悩み、だから*火山爆発で気温を暖かくして作物を実らせたかったお話しができたのですが、
*実際には火山爆発は逆に気温を下げる働きになると聞いたことがあります。
今は温暖化、集中豪雨で、気候変動におろおろする日々です。勿論問題はこればかりではないから・・・。
作中、奥山やコナラやブナも登場しますが、カヤやヒバ、松の登場が多いですね。特に松、これは当時開墾や林業などで木が伐られて松が多かった里があったからなのでしょうか?
賢治さんのいた時代、まだ自然破壊とか自然保護の概念は無かったと思うのです。ですが今の世の中を見たら、自然のただ中を歩き、自然の風や気圏、雨や植物や虫、鳥たちとの出会いを楽しんでいた賢治さんはどう思うのでしょう?やっぱりおろおろし、時にはぎしりしたのかも知れません。
またこれに関しては別記事書いてしまうことでしょう・・・。