もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

こんな時だからこそ、宮沢賢治を読む。

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文庫本は中学~短大生の頃辺りに揃えましたね。


Faceboookにも、Intsagramにも映えない画像(笑);

*文庫本には本屋さんでかけてくれる包装紙のカバーがありますが、画像のものはぼろくなったかで、自分で他の包装紙でカバーして、表紙文字を書いてあります。

(おやつの「栗よせ」は自分で作りました。手軽に出来て美味しいです。でも本場の飛騨の和菓子屋さんのも食べたいな~。)

 

学生の頃、社会人の頃もかな、良く読んでいた宮沢賢治

きっかけは、大好きな松本アニメで「銀河鉄道999」がテレビ放映され始めた際、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に影響を受けた、とあったからなのでした。

物語の設定には、松本アニメのようなSFさはないけれど、当時宇宙の銀河を旅する鉄道という構想は斬新だったのに違いありません。

 

しばらく、なかなか読めなかったのです。10年前ほど読もうと思い立ったけれど挫折;

ようやく最近読み始めました。

自然観察の世界に入り、色々自然のことが分かってからは、賢治の物語がより具体的に楽しめるようになったことに気がつきました。それまでサイカチの樹、と名前を見ても何となくの想像でしかなかったけれど、今は分かるし、秋に野薔薇の香りがする時期ではないのに、の部分も確かにと納得です。

でも、紫紺=ムラサキ、はキキョウには似ていないと思うな~~。

 

丁度10年前には物語の舞台でもある岩手県に訪れたのでした。その西和賀は物語のいくつかの舞台にも近い場所にあるのですね。

久しぶりに読んで、物語を紡ぐ文や言葉の美しさ、透き通った感じや、真摯な想いや願いが改めて感じられ、ページがどんどん進みました。

文庫本の賢治作品まだまだあるので今度は読破するつもりです。

 

今、「まことの幸い」が分かりにくくなっている様な気がしてなりません。

コロナ禍で閉塞的な日々ということもありますが、それ以前から世の中、真摯な幸せよりも欲望や上辺の楽しさ、虚栄の方が優先されてしまっている気がします。

賢治さんの生きていた頃は、冷害やひでりに悩まされてきたと思いますが、現代は地球温暖化の危機が迫っている。

多様な生き方が認められつつある一方で、未だ偏見や差別があり、それを憚ることなく表に出す人がいて、しかも時に指導者にも見えるようになっています。

地球環境や自然環境は悪くなっていくばかり・・・。

それなのに、それも伝える場であるはずなのに血の通っていない自然観察の場(「共に生きていく自然と生き物」という観点が圧倒的に足りないと思うのです)。

 

こんな時だからこそ、宮沢賢治の物語りや詩、願いや想いについて読むべきなのかもと思います。