もり~ゆ 野巡りの日々、第3章

身近な場所を始め、自然のことなどを書いていきます。

美術手帖での特集

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図書館で借りて読んだのでした。

近くの図書館で借りることが出来たので。
読めそうな所から「つまみ読み」しました。いくつか面白い記事あったり、難解な論調があったり様々でしたが、全部は読めずに返却しました。キュレーターのあり方についての論議は、その世界にいないと分からないことも多いような。
こういった問題に向き合う力は海外の方が下積みあるだけ持っている感じがします。後述しますが向こうはその表現と検閲の問題の幅が広いのですよ。実際に海外の人から去年の愛知トリエンナーレ表現の不自由展問題について、「何でそんなに騒いでいるの?」なんて反応があったともあります。

 

「全米反検閲連盟」の方の書いた部分と「不自由展」に出展された岡本さんという方のインタビューが面白いしなるほど、と思いました。岡本さんの「見ない内から悪い想像力だけが働く」というのなるほどね~、と。「目の前にある物を見ないことにはできないでしょ?」も然り。この方の作品「バッタもん」が見たい気がしますね。クレーム付けたのはルイ・ヴィトンのみで、他のブランドメーカーはしなかったのね。その辺り度量の違いがある気も。今はもう買わないし買えないけれど、もしブランド買うならこの辺りでも判断できそうな気がしてしまいます。
前者のスヴェトラーナさんによる「インターネットは共鳴のエコーだけが聞こえる閉鎖的な言論空間・・・」というあたりは分かると思ってしまう。ネットでの議論は言うは易く行うは難し、ですね。乱暴な言葉の投げかけや、しつこい絡みならまだしも、単なる違う意見、に対して尊重しつつも自身の思うことを丁寧に述べることが出来る人というのは、最近は特に稀なのだと思います。それが実際にできている人は尊敬します!

(あの辻さんは、それができた人じゃなかったのかなぁ?例の検討会議で思い出します!)

 

「全米反検閲連盟」のマニュアルも必読。このような対応策はあった方が良いでしょう。

 

ただ・・・。

国内外の検閲事例を読んで、時にその作品を検索で見たりもしたのですが、

全ての事例がとんでもない検閲例かと言えば、そうとも思えないかな。

確かに行き過ぎた検閲だと思う例もありますが、これはアウトなんじゃないかな、と思う例もあったりします。

あと、やっぱり生き物を使った作品は、、私的にはダメ;

少女の描写例で海外の画家の作品が物議をもたらした件について「女の子の親になってからは更に嫌だと思うようになった」というのは確かに分かる・・・。

受ける側と提示する側が同じ問題を扱っていても、良しとは受け取られないこともあったりするのですね、ここは双方意見を述べ合うことは大事だとは思います。

旧ブログで自分は、テロとかを呼び起こしそうな作品や、宗教に触れるのは良くないのでは、、と言ったことを書いたと思いますが、海外では、、流石にテロの誘因のものは無いですが宗教や弾圧などを扱った結構その方面の作品が、、あるのね・・・・。

海外の方が更に人種問題や先住民の事など日本以上に様々な分野の表現上で検閲との摩擦があるようです。

 

 そう思うと、不自由展の内容に脅迫までするというのは、むしろ異様でさえあり、不寛容とも思えますね・・・・・。そりゃあ「何でそんなに騒ぐの?」になりますね。